【四国&九州(20)】長崎名物のちゃんぽんとトルコライスを食す!【皇上皇・Bull's Kitchen】
2020年12月11日(金)〜2020年12月29日(火)の約20日間にかけて主に四国と九州を旅してきた時の様子を記事にしている。
前回の記事はこちら↓
kimagure-hitoritabi.hatenablog.com
本日は2020年12月20日(日)。午前中に長崎を観光していた私は、昼食を食べに長崎駅直結のアミュプラザへと向かった。
アミュプラザはJR九州が主要駅で展開する駅ビル型商業施設で、小倉駅、博多駅、長崎駅、鹿児島駅、宮崎駅、大分駅にある。また、熊本駅にも2021年4月23日にグランドオープン予定と発表されている。
5Fがレストラン街となっており、"皇上皇"という店で長崎ちゃんぽんが食べれるという情報を得ていたので、行ってみた。上の写真はまだ開店前だが、日曜日ということもあり結構並んでいた。しかし店内は広く座席数も多いので、開店と同時に全員中に入れたので開店後に並んで待つということはなかった。
長崎ちゃんぽんを注文。皿うどんと迷ったが、今回はちゃんぽんにした。見ての通り具がたくさん入っていてかなり豪華だった。イカやエビ、豚肉や野菜もたくさん入っており、牡蠣も入っていた。麺も中太でコシがあり、スープは最後まで熱々で満足だった。
さて、これだけでは終わらない。
次に入ったのはBull's Kitchen。
Bull's Kitchen↓
http://www.gyuemon.com/group/bullskitchen/index.html
こちらではちゃんぽんと同じく長崎名物のトルコライスをいただく。
トルコライスは豚カツ、ピラフ、スパゲティが1つの皿にのっているといったような料理で、今回私が食べたのは豚カツ、カレーピラフ、ナポリタン、サラダが1つの皿に乗っていた。豚カツにはデミグラスソースがかかっていた。トルコライスは1950年代に誕生したとされるが、名前の由来も含めて確かなことは分かっていないそうだ。まあ美味しければなんでも良いということで、豚カツにナポリタンにカレーピラフという美味しいものが3つ揃えばそれが不味いわけがなく、とても美味しくいただいた。直前にちゃんぽんも食べていたが、難なく平らげた。
ちゃんぽんとトルコライスを食べた後は、長崎駅12:34発のJR長崎本線に乗り、1つ隣の浦上駅で降りた。
浦上駅には12:36に着いた。この近くには"原爆資料館"や"平和公園"がある。
まずは長崎原爆資料館に来た。ここでは被曝の惨状をはじめ、原爆が投下されるに至った経過、および核兵器開発の歴史などの展示が行われていた。この日は日曜日だったのだが、なぜか小学生が課外学習?でたくさん来ており、先生らしき人もいた。それもあり、中はやや混雑していた。
併設されている長崎市平和会館でも展示が行われていた。
原爆資料館を見た後は、平和公園に来た。ここは1945(昭和20)年8月9日に落とされた原爆の落下中心地とのことだ。
爆心地から北東へ約500mの小高い丘にあった浦上天主堂は、東洋一の壮大さを誇る天主堂だったが、原爆により破壊され、わずかにまわりの壁を残すのみとなった。この側壁は、1959(昭和34)年に新しい天主堂建設のためこの地に移設されたものである。壁上の石像は、フランシスコ・ザビエルと使徒である。
原爆の中心地から500m歩いて浦上天主堂までやってきた。浦上は戦国時代の末期、1584年頃からキリシタンの村だった。その後徳川幕府のキリシタン弾圧を受け、1868(明治元)年には「旅」と称した浦上村民総配流が明治政府によって決定し、金沢以西の20藩22か所に浦上信徒約3,400人が配流された。1873(明治6)年にキリシタン弾圧は停止され帰村したが、信徒たちがなによりも欲しかったのは、「神の家」魂のよりどころである天主堂であった。
1895(明治28)年から建築に着手し、途中資金難から工事は途絶えがちだったが、1915(大正4)年3月18日に献堂式を挙げるにいたった。この日は大浦天主堂での日本の"信徒発見"50周年記念日の翌日である。さらに1925(大正14)年に正面の双塔が完成し、左側に小鐘(直径80cm、高さ66cm)、右側に大鐘(直径1m、高さ85m)が吊るされた。
原爆により倒壊消失したのち1959(昭和34)年に再建されたが、潤沢な資金なしに再建された天主堂は21年経つと補修の必要にせまられた。ヨハネ・パウロⅡ世の訪日が決まったことをきっかけに、内装も立派に整備して1980(昭和55)年10月4日完工した。
ヨハネ・パウロ二世はポーランド出身の第264代ローマ教皇で、1981年2月23日から26日まで日本を訪問した。ヨハネ・パウロ二世は最初の訪問国メキシコを皮切りに、日本訪問を含め2003年9月に最後の訪問国となったスロバキアに到るまで実に100カ国以上を訪問しており、「空飛ぶ教皇」などと呼ばれた。
これは"天主堂の見える丘"と呼ばれる場所から撮った写真である。確かによく見える。
浦上駅の近くには観覧車があった。
浦上駅を出てすぐのところに"国鉄原爆死没者慰霊之碑"があった。
さて、この日は佐賀県の南部、福岡県の南西部を経由して最終的には熊本まで行く。浦上駅を15:34に発車する長崎本線に乗り、途中、佐賀県の鳥栖駅で鹿児島本線に乗り換え、さらに福岡県の大牟田駅でも乗り換え、熊本駅に到着するのは20:24である。5時間近くの長旅となる。本当は長崎観光は午前中までに終わらせて、その後は佐賀県の吉野ヶ里公園や佐賀駅周辺も観光する予定だった。しかし前日になって長崎に見所が多いことに気づき、悩んだ末、長崎を優先して観光し、佐賀県はスルーすることにした。佐賀県の唐津などは先日観光したが、佐賀県南部の観光はまたの機会ということにしよう。
大牟田市はかつて石炭の鉱山がたくさんあり、街も栄えていたようだ。
さて、時は進んで熊本に到着。腹が減っていたため何をするよりもまず飯をということで、駅構内の"肥後よかもん市場"に来た。
肥後よかもん市場↓
熊本に来たし熊本ラーメンでも食べるかということで"とんこつラーメン一杢"という店に入った。ちなみに肥後よかもん市場にはもう1店舗熊本ラーメンの店があったが、そちらはすでにラストオーダーが終わっていた。
とんこつラーメンと黒チャーハンを注文。これは間違いない。ラーメンは博多ラーメンと同様に豚骨ラーメンだが、博多ラーメンと違ってニンニクが効いておりこれはこれで美味い。チャーハンも味がしっかりついていて、量もあってお腹いっぱいになった。
さて、夕食を食べたら今日のホテルへと向かう。
ホテル法華(ほっけ)クラブ熊本↓
https://www.hokke.co.jp/kumamoto/
駅からホテルまで歩くと20分くらいかかるので、路面電車を使った。"熊本駅前"から乗って、"慶徳校前"という駅で降りた。"慶徳校前"からホテルまでは歩いてすぐだ。
チェックインを済ませると、再び外に出て周辺を歩いた。ちなみにGOTOキャンペーンを利用して1泊2,470円だった。
サクラマチ熊本↓
https://sakuramachi-kumamoto.jp
実は熊本駅からホテルまでの道中はほとんど何もなく、全く栄えていないという印象だったのだが、しばらく歩くと急に明るくなった。"サクラマチ熊本"は商業施設で、TOHOシネマズやバスターミナル、熊本城ホール、さらにはホテルや住宅、オフィスビルなども併設されているそうだ。
道路を挟んだ向かい側には"サンロード新市街"という商店街らしきものもあった。どうやらこの辺りが熊本の中心街のようだ。
そのまま熊本城の近くまで歩いた。熊本城がよく見えるポイントがないかなと色々歩き回ったが、あまりよく見えるところはなかった。
熊本城↓
https://castle.kumamoto-guide.jp
熊本城は、1607(慶長12)年、加藤清正が完成させた城である。別名「銀杏城」とも呼ばれるが、これは天守閣前広場にある大イチョウに由来する。しかしもともとあったイチョウは西南戦争直前に天守・本丸御殿が消失した際に焼けてしまい(原因はいまだ特定されていない)、現在のイチョウは燃えた後から生えてきた新しい芽が成長したものである。西南戦争は1877(明治10)年2月におきた戦争で、熊本城は50日あまりにも及ぶ籠城戦の舞台となった。
熊本城といえば、武者返しと呼ばれる石垣が有名である。また、2016(平成28)年の熊本地震で被災し、現在でも復旧作業が進められている。
ホテルに戻る途中で熊本城の絶好の撮影ポイントを発見した。ここは銀座通りの近くで、"銀座通り歩道橋"という歩道橋から撮ったものである。
先ほどは気付かなかったが、"サクラマチ熊本"の近くでも熊本城がよく見える場所があった。
ホテルに戻った。大浴場があったようなのだが、いくら思い出そうとしても入った記憶がない。もしかするとかなり疲れていたのと翌日も朝早いので部屋のシャワーだけで済ませてしまったのかもしれない。
では、今回はここまでにしよう。翌日は熊本のシンボル阿蘇山に行ってきたので、次の記事で紹介しよう。
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【四国&九州(19)】長崎市周辺を観光【眼鏡橋・出島・グラバー園・オランダ坂】
2020年12月11日(金)〜2020年12月29日(火)の約20日間にかけて主に四国と九州を旅してきた時の様子を記事にしている。
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本日は2020年12月20日(日)。前日の夜、長崎駅近くのホテルに宿泊した私は、周辺の観光に出掛けた。
路面電車が走っていた。
まずはホテルから歩いて10分ほどのところにある眼鏡橋に来た。眼鏡橋は、先日訪れた山口県の錦帯橋と同様、日本三名橋の1つに数えられており、国の重要文化財にも指定されている。中島川に掛かり、日本最古の石造アーチ橋で、1634(寛永11)年に架設された。川面に映るその姿から古来より"めがね橋"の名で長崎の人たちに親しまれていたが、1882(明治15)年に正式に眼鏡橋と命名された。今回は、川面に映る姿はうまく撮影できなかった。
中島川には眼鏡橋の他にも20以上の橋が架けられ、川に沿って散策できるようになっている。眼鏡橋と同様、橋のほとんどが石橋で、文化財に指定されているものもある。
眼鏡橋を見た後は、出島へと向かった。出島は中島川の河口にあり、眼鏡橋から出島の入り口まで歩いて10分ほどだった。出島には入口が3つあったが、私は東側の入口から入った。
出島↓
出島は1636(寛永13)年キリストの布教を防ぐ目的で、市中に雑居していたポルトガル人を一か所に集め、住まわせるために幕府の命により造られた面積約15,000平方メートルの扇形をした人口の島である。1639(寛永16)年の第5次鎖国令によるポルトガル人退去後は一時無人の島となったが、1641(寛永18)年平戸のオランダ商館がここに移され、以来1859(安政6)年の開国までの218年間日本で唯一西洋に向けて開かれた窓となり、海外から新しい学術や文化が伝えられた。出島内にはオランダ商館員の住まいや倉庫などが建ち並び、家畜を飼い様々な植物が植えられていた。一方、築造当初のポルトガル人が入居していた頃の姿はよく分かっていないそうだ。幕末から明治にかけての港湾改良工事などで周囲は埋め立てられ海に浮かぶ扇形の原型は失われたが、日本の近代化に大きく貢献を果たした貴重な歴史的文化遺産であることから1922(大正11)年に国の史跡に指定され、現在は19世紀初頭の姿への復元整備が行われている。このため、調査を行い、おもに18世紀代から19世紀中期までの遺構を発掘している。
ミニ出島は、河原慶賀が書いたといわれる「長崎出島之図」をもとに、1820年頃の出島を現した模型である。縮尺は1/15で、1976(昭和51)年に長崎市が作成した。長崎市は2000(平成12)年3月に完成した5棟(ヘトル部屋、料理部屋、二番蔵、一番蔵、一番船船頭部屋)を皮切りに、現地での建物復元に取り組んでいる。写真はミニ出島を横(実際の出島の西側にあたる方向)から撮ったものである。
こちらは出島で一番豪華な商館長の居住空間を再現したもの。日本は最初にポルトガルとの貿易(南蛮貿易)を開始したため、商館長のポルトガル語である"カピタン"を用いて通称"カピタン部屋"とも呼ばれている。その後ポルトガルに代わりオランダが貿易の主役になったが、この呼び名は変わらなかった。
出島を見た後は、グラバー園へと向かった。
途中の道で、昨日夜景を見た稲佐山が見えた。
四海楼↓
四海楼は長崎名物の「ちゃんぽん」「皿うどん」発祥の店として知られる中華料理店である。今回は旅程の都合上ここでは食事できなかったが、また機会があればここでちゃんぽんや皿うどんを食べてみたい。
https://nagasaki-oura-church.jp
大浦天主堂は世界遺産"長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産"の構成遺産の1つとして登録されている。江戸時代幕末の開国後1864(元治元年)年に竣工した、日本に現存する最古のキリスト教建造物である。1865(元治2)年3月17日、浦上の潜伏キリシタンが大浦天主堂を訪ね、プティジャン神父に密かに信仰者であることを名乗った"信徒発見"は有名である。1945(昭和20)年8月9日の原爆投下では甚大な被害を受けたが、国の補助を受け修復工事が行われ、1952(昭和27)年6月30日、5ヶ月の歳月を費やして工事は完了した。
入場料が1,000円と少し高かったので今回は中には入らなかったが、また長崎に来ることがあれば中も見てみたい。中は博物館も併設されているようだ。
グラバー園は、1859(安政6)年の長崎開港後に長崎に来住したイギリス人商人グラバー、リンガー、オルトの旧邸があった敷地に、長崎市内に残っていた歴史的建造物を移築し、野外博物館の状態を呈している。
"旧グラバー住宅"は世界遺産「明治日本の産業革命遺産」の構成資産の1つとして登録されているが、残念ながら工事中だった。グラバー園に来たのはこれを見るためという目的が大きかったのだが、折角ここまで来たのでグラバー園には入場することにした。工事は2021年10月29日までを予定しているようだ。
こんな感じであった。旧グラバー住宅は大工棟梁の小山秀によって建築された、現存する日本最古の木造洋風建築物である。小山秀は他にも"三角西港(「明治日本の産業革命遺産」に登録)"や"大浦天主堂"も手掛けた。居住やビジネスの拠点としてだけでなく、文化交流の場所としても重要な役割を果たしていた。
旧グラバー住宅は残念ながら工事中だったが、旧オルト住宅や旧リンガー住宅の他、旧ウォーカー住宅、旧三菱第2ドッグハウス、旧スチイル記念学校などの移築建造物を見ることができた。
グラバー園からの見晴らしは良く、長崎港やその周辺を見渡すことができた。
グラバーの像もあった。グラバーはスコットランドの実業家で、坂本龍馬をはじめとする志士を陰で支え、石炭・造船・鉄道などの様々な分野でも尽力した。旧グラバー住宅と同様、世界遺産「明治日本の産業革命遺産」に登録されている高島炭鉱や小菅修船場の建設、事業化にも協力した。
グラバー園を出ると、文明堂があったのでカステラを買うことにした。
買ったカステラは後日、熊本から鹿児島へ移動する際に電車の中で美味しくいただいた。
カステラを買った後は、オランダ坂へとやってきた。オランダ坂は、先日訪れた高知県のはりまや橋に並ぶ「日本三大がっかり名所」の1つとして知られている。実際に行ってみると確かに何もないただの坂である。はりまや橋はがっかりするという前提で行けばそこまでがっかりという感じでもなかったが、オランダ坂に関してはその前提で行ってもがっかりという感じだった。ちなみになぜ「オランダ坂」なのかというと、かつて長崎の人々は出島に住むオランダ人の影響から開国後も東洋人以外の外国人を「オランダさん」と呼び、「オランダさんが通る坂」という意味で「オランダ坂」と呼んでいたそうだ。
http://www.nagasaki-chinatown.com
オランダ坂の後は、長崎の中華街に来てみた。しかしまだ11時前ということもあってか、閉まっている店も多かった。
中華街を見た後は長崎駅に戻ってきた。長崎駅は今後新幹線が通る関係で、大規模な工事が行われている。2022年秋頃に武雄温泉駅-長崎駅間の開業が予定されている。
では、今回はここまでにしよう。この後も引き続き長崎を観光するが、残りは次の記事で書こう。
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【四国&九州(18)】長崎県長崎市にある稲佐山からの夜景を見る【日本三大夜景・日本新三台夜景・世界新三大夜景】
2020年12月11日(金)〜2020年12月29日(火)の約20日間にかけて主に四国と九州を旅してきた時の様子を記事にしている。
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本日は2020年12月19日(土)。佐世保を観光してきた私は、17:15発の電車に乗って長崎駅へと向かった。
長崎駅に到着したのは19:22だった。博多駅のものと比べると大したことないが、長崎駅でもイルミネーションをやっていた。この後は【日本三大夜景・日本新三台夜景・世界新三大夜景】のそれぞれに選ばれている稲佐山からの夜景を見に行く。
稲佐山のロープウェイ乗り場までは長崎駅から無料のバスが出ているが、事前に予約が必要なので注意が必要だ。
予約はこちらから↓
https://reserve.nagasaki-ropeway.jp
私は19:47長崎駅発のバスを事前に予約しておいたので、そのバスに乗ってロープウェイ乗り場まで向かった。
バスの車内はコロナ禍だというのにかなり混雑していて、ほぼ満席のように思えた。
19:55頃にロープウェイ乗り場に到着し、その後チケットを買って、記憶が正しければギリギリ20時発のロープウェイに乗ったはずである。ロープウェイのチケットは往復1,250円だが、HPの往復割引券を見せると1,120円と130円割引で購入できる。さらにGOTOキャンペーンの1,000円分の地域共通クーポンを利用したので、実際に支払ったのは120円のみである。
ロープウェイに乗って5分ほどで山頂に着いた。では、撮ってきた写真を紹介しよう。
うむ、確かにこれは綺麗だ。これはいつまでも見ていられる。しかし、私は8月にも同じ日本三大夜景に数えられる函館にある函館山からの夜景を見たが、個人的には函館の夜景の方が好きだ。とはいえ、稲佐山からの夜景もかなりの絶景であった。
しばらく景色を楽しんだ後、下りのロープウェイに乗って山の麓へと降り、再びシャトルバスに乗って長崎駅へと戻った。
長崎駅近くの歩道橋から路面電車が見えた。今回の旅では長崎で路面電車に乗ることはなかった。長崎駅へ戻った後は、ホテルにチェックインした。
MINATOカプセルイン↓
今回はカプセルホテルである。GOTOキャンペーンを利用して1泊2,314円で宿泊した。ここは入浴やサウナだけの利用も可能で、リラックススペースもあって12時間滞在で2,500円となかなか良い。今回はGOTOキャンペーンのおかげでホテルの方がお得という現象が起こったが、GOTOキャンペーンがなくても、快適性は少し落ちるが入浴のみの利用でも1泊出来そうだ。
これは知らなかったのだが、つい最近まで休業していたようだ。
チェックインを済ませた後は、夕食を食べに行った。といっても夜遅くて営業している店もあまりなかったので、吉野家に行くことにした。
よし、これにしよう。
鶏・豚・牛の全てが揃っており、量もたくさんあって満足だった。
食事を終えると、ホテルに戻って休んだ。では今回はここまでにしよう。翌日は15時くらいまで長崎市を観光したので、その時の様子を次の記事で書きたい。
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【四国&九州(17)】佐世保で名物の佐世保バーガーを食す!【長崎県佐世保市】
2020年12月11日(金)〜2020年12月29日(火)の約20日間にかけて主に四国と九州を旅してきた時の様子を記事にしている。
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本日は2020年12月19日(土)。佐賀県の唐津市を観光してきた私は、JR唐津駅11:44発の唐津線に乗り、久保田駅へと向かった。次の目的地は長崎県の佐世保駅。松浦鉄道を利用すればもう少し近道できるが、青春18きっぷを持っているためなるべくJRで行きたいので少し遠回りして行く。
久保田駅に到着したのは12:46。この駅で唐津線から長崎本線に乗り換える。
この周辺も少し見所があるようだ。しかし今回は時間もあまりないので、ほとんど散策はしなかった。
次の電車が来るまで博多で買ったお菓子を食べた。このお菓子は私の大好物である。次は13:27発のJR長崎本線に乗り、肥前山口駅で降りた。
この周辺にも見所がいくつかあるようだ。
この駅はJR最長片道切符の旅のゴールの駅でもある。最長片道切符とは、JRの路線で北海道から九州まで経路が途中で重複しない発駅から着駅までの距離が最も長い経路を持つ片道乗車券のことである。NHKで2004年5月5日から6月23日まで放送された番組「列島縦断 鉄道12000キロの旅 〜最長片道切符でゆく42日〜」で、俳優の関口知宏が最長片道切符で旅をした模様が放送された。
さて、次は14:00発の佐世保線に乗って有田駅へと向かった。
佐世保線の列車はこんな感じで、座り心地が良かった。
有田駅の到着は14:37。有田といえば有田焼ということで、駅から歩いて10分強のところに"九州陶磁文化館"という、有田焼の展示が無料で見れる施設があるので行ってみる。
九州陶磁文化館↓
https://saga-museum.jp/ceramic/
有田焼のみでなく、伊万里焼や唐津焼の陶器をはじめとした肥前の陶磁器を中心に、九州各地の陶磁器が展示されていた。
私にはこれらの焼き物の凄さなどよく分からないが、無料だし勉強として見ておくかくらいの気持ちで行った。
九州陶磁文化館は坂の上にあり、有田の町を見渡せた。
"有田の文化的景観"は"日本の20世紀遺産20選"にも選ばれているらしい。400年の歴史を有する有田焼を中心として、窯業が近代まで持続し、それを支えた町並みや窯跡などのほかに、近代の窯業関連施設が一体となって景観を形成しているということが選ばれた理由とのこと。主な構成資産としては、今回訪れた"九州陶磁文化館"の他、伝統的建造物群保存地区や古窯跡群、有田町歴史民族資料館などが挙がっている。"有田の文化的景観"以外には、"広島平和記念資料館及び平和記念公園"、"上野恩賜公園と文化施設群"、"青函トンネル"、"瀬戸大橋"などが"日本の20世紀遺産20選"に選ばれている。
さて、次はいよいよ15:47発のJR佐世保線に乗って佐世保駅へと向かう。しかし、電車が少し遅延していた。遅延の理由は忘れた。途中、早岐駅で乗り換え、少し到着が遅れたが無事16:20過ぎくらいに佐世保駅へ到着した。
佐世保駅は日本最南端の駅らしい。
させぼ駅みなと口からすぐのところに"させぼ五番街"というショッピングモールがあった。
させぼ五番街↓
ここの1階にあるハンバーガーショップで佐世保バーガーを食べることにした。
ハンバーガーショップ ヒカリ↓
スペシャルバーガー(680円)を注文。パティの他に、チーズ、ベーコン、卵などがサンドされており、出来立てでとても美味しかった。ちなみに佐世保バーガーとは、特定の決まったスタイルのハンバーガーを指していうのではなく、佐世保市内の店で提供される「手作りで」「注文に応じて作り始める(作り置きをしない)」こだわりのハンバーガーの総称だとのことだ。
佐世保駅はこんな感じ。
佐世保駅の東口もそこそこ栄えている印象で、"えきマチ1丁目"というショッピングモールがあった。
えきマチ1丁目↓
"えきマチ1丁目"は九州全域に展開するJR九州の駅商業施設。佐世保のえきマチ1丁目は、"佐世保駅から一番近いショッピングモール"として売り出していた。確かに駅の目の前で、五番街よりも距離は近い。
佐世保市に属する黒島の集落は"長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産"として登録されている。この後は、17:15発の電車で長崎駅へと向かう。
駅の改札内にも佐世保バーガーの店があった。しかしこちらはテイクアウトのみで、店内で食べることはできない。
では、今回はここまでにしよう。この後は長崎へ移動して、稲佐山の夜景を見てきたので次の記事で紹介しよう。
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【四国&九州(16)】唐津城から虹の松原を見る【佐賀県唐津市】
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本日は2020年12月19日(土)。前日に唐津駅近くのホテルに泊まった私は、呼子の朝一へと向かった。
唐津バスセンターは、JR唐津駅から歩いて10分ほどと、少し離れているので注意が必要である。
07:45発のバスに乗った。
呼子のバス停には08:15くらいに到着した。呼子の朝一は、日本三大朝市の1つとも言われている。
このように朝市通りには露天が並んでいるが、思っていたほど露天の数は多くなかった。コロナの影響なのか、または曜日の関係なのか、それとも元からこのくらいなのか。
さざえのつぼ焼きが気になったので買ってみた。
量により200円から600円まであったが、私は300円のものにした。まず、食べる前から磯の香りがとても良かったが、食べてみても歯応えのある食感がたまらなかった。これは酒との相性が良さそうだ。
"イカ焼き"を売っている店もあり、食べることにした。イカ焼きといってもイカを焼いたものではなく、お好み焼きのようなものにイカが入っているという感じだった。焼いてくれている間、店の人に「どこから来たの?」とか色々聞かれて少し会話した。福岡から来て、これから九州を一周すると言ったら、阿蘇山をめちゃくちゃお勧めされた。阿蘇山にはもともと行く予定で、かなり楽しみにしていたが、話を聞いているうちにどんどん楽しみが増していった。
普通にお好み焼きのような感じだった。焼きたてで美味しかった。イカもちゃんと入っていた。
海も綺麗だった。他にも色々お土産に良さそうなものも売っていたが、冷蔵保存が必要なものがほとんどで、これからまだ長旅が続く私は購入には至らなかった。
呼子の朝市の後は、09:20発のバスに乗り、再び唐津バスターミナルへと戻った。その後は、唐津城へと向かった。バスセンターから唐津城までは歩いて15分ほどである。
途中の道から唐津城が見えた。
唐津城へと続く階段。唐津城へと行く場合は、この階段を上る必要がある。ちなみに唐津城を見終わってこの階段を降りる時に、地元の学生が部活でこの階段をうさぎ跳び?のようなことをやらされていて大変だなあと思った。
近くにフジの木があった。唐津市の天然記念物に指定され、樹齢100年を超える佐賀県を代表する名木とのこと。毎年4月下旬から5月上旬にかけて唐津城を背景に紫フジが咲き誇るが、去年は害虫(フジツボミタマバエ)による被害や幹の腐食による樹勢の低下によりフジの咲きが悪かったそうだ。もとの元気な状態戻るには複数年かかるとのことだが、市は樹勢回復に向けて取り組んでいると書いてあった。
さて、唐津城の天守閣に登ってきた。天守閣から見える虹の松原はとても綺麗だった。他にも天守閣から撮った写真をいくつか紹介しよう。
唐津城に行った後は、唐津駅へと戻り、次の目的地へと向かった。
では、今回の記事はここまでにしよう。この後は、長崎県佐世保市に行ってきたので、次の記事で紹介したい。
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【四国&九州(15)】日本最大の松原"虹の松原"を散策【佐賀県唐津市】
2020年12月11日(金)〜2020年12月29日(火)の約20日間にかけて主に四国と九州を旅してきた時の様子を記事にしている。
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本日は2020年12月18日(金)。博多を観光した私は、西鉄福岡駅12:09発の西鉄天神大牟田線に乗り、太宰府駅へと向かった。途中、西鉄二日市駅で太宰府線に乗り換えて、12:46に太宰府駅に到着した。
駅に到着したら、太宰府天満宮へと向かった。
https://www.dazaifutenmangu.or.jp
https://store.starbucks.co.jp/detail-1058/
こちらのスターバックスは建築家の隈研吾が設計したもの。約2,000本の杉を使用している。釘を一切使わない伝統的な木組み構造で、太宰府に相応しいデザインとなっている。隈研吾は現在(2021年2月時点)も建設が進行中のJR高輪ゲートウェイ駅の設計も行っている。
太宰府天満宮は、先日訪れた山口県にある防府天満宮と同様、日本三大天神の1つとされ、「学問・至誠・厄除けの神様」として、年間約1,000万人の参拝者が訪れている。菅原道真は京都に生まれ育ったが、無実の罪を着せられ太宰府に流され、903(延喜(えんぎ)3)年2月25日に生涯を終えた。その後、亡骸を牛車に乗せて運んでいたところ、牛が伏して動かなくなり、これは道真公の御心によるものだろうと、その地に埋葬されることになった。そして道真公の墓所の上に造営されたのが太宰府天満宮である。その後、道真公の無実が証明され、「天満大自在天神」という神様の御位(みくらい)を贈られ、「天神さま」と崇められるようになった。
近くには博物館もあった。有料だったので、入るのはやめた。
表参道に戻った。至る所で梅ヶ枝餅というのを売っていた。太宰府の名物らしく、買って食べてみた。
餅というより饅頭のような感じだったが、美味しかった。名称は菅原道真の逸話に由来しているそうで、梅の味や香りがするわけではなかった。
"金賞コロッケ"という文字が気になり、ここでコロッケも買って食べることにした。全国コロッケコンクールというコンクールが開催されているらしく、そのコンクールで金賞を受賞したことがあるようだ。
普通のコロッケという感じだったが、揚げたてサクサクで美味しかった。
コロッケを食べた後は、13:53発の電車に乗って14:25に西鉄福岡(天神)駅まで戻った。その後は天神駅から15:04発の地下鉄空港線に乗り、虹ノ松原駅へと向かった。地下鉄空港線はJR筑肥線との直通運転を行っており、途中の姪浜駅で地下鉄空港線からJR筑肥線に変わった。
虹ノ松原駅に到着したのは16:10だった。この辺りは"虹の松原"と呼ばれる、佐賀県唐津市の唐津湾沿岸に広がる松原がある。虹の松原は静岡の"三保(みほ)の松原"、福井の"気比(けひ)の松原"と共に日本三大松原にその名を連ね、国内の松原で唯一の特別名勝に指定されている(1955(昭和30)年に指定)。日本三大松原の中でも約216haと最大であり、約100万本の松が生い茂る。ちなみに、松原のとしての名称は"虹の松原"だが、駅名は"虹ノ松原駅"とカタカナの"ノ"が使われている。
では、撮影してきた写真をいくつか紹介しよう。
こんな感じで、立派な松が沢山生えている。
唐津湾も近く、海を見ることもできた。もともと松原は海岸沿いに多く見られる。虹の松原は、17世紀初頭、唐津藩藩主である寺沢広高が新田開発の一環として、もともとの自然林から防風林、防砂林として植樹を行った。虹の松原ビュースポットとしては、唐津城や鏡山などがある。翌日、唐津城に行くので、その時の様子は次の記事で紹介したい。
さて、この日の最終目的地は唐津駅である。虹ノ松原駅から虹の松原を通って1時間くらい歩くと唐津駅まで行けるのだが、歩道があまり整備されておらず、車も結構通っていて危なそうだったので、電車で行くことにした。16:42発の筑肥線に乗って唐津駅へと向かった。
唐津駅には16:50に到着した。とりあえずはホテルにチェックインすることにした。
Hotel Karae↓
今日のホテルはHotel Karae。といっても、私が泊まったのはドミトリーの部屋だ。普通の個室の部屋もある。唐津駅北口から歩いてすぐだった。
南口には立派な図書館があった。
ドミトリーはGOTOキャンペーンを利用して1泊2,378円だった。
2段ベッドの2段目だった。
チェックイン後は夕食を食べに外に出た。歩いて20分くらいのところにスシローがあったので、そこで食べることにした。
ここで1皿100円の寿司を18皿食べ、税込で1,980円を支払った。この後はホテルに戻ってゆっくり休んだ。
スシローの近くには和多田駅というJRの駅もあった。
では、今回はここまでにしよう。翌日は呼子や唐津城など、唐津を観光してきたので次の記事で紹介したい。
次の記事はこちら↓
kimagure-hitoritabi.hatenablog.com
YouTubeもやっているのでよかったら見てください↓
【四国&九州(14)】博多名物の博多ラーメンと明太子を食す!【博多一双・天ぷらたかお】
2020年12月11日(金)〜2020年12月29日(火)の約20日間にかけて主に四国と九州を旅してきた時の様子を記事にしている。
前回の記事はこちら↓
kimagure-hitoritabi.hatenablog.com
本日は2020年12月17日(木)。防府天満宮を観光してきた私は、15:53発のJR山陽本線に乗り、下関駅へと向かった。
下関駅には17:19に到着した。下関駅では乗り換えの関係で降りたが、これから九州を1周した後、1週間後にまた下関には戻ってくるので、今回は駅周辺を軽く見るにとどまった。17:38発のJR山陽本線に乗って関門海峡を抜け、途中、門司駅でJR鹿児島本線に乗り換えた後、18:00に小倉駅へ到着した。
小倉駅はなかなか大きな駅だった。
小倉駅がある北九州市では、"戸畑祇園大山笠行事"というお祭りが、同市戸畑区にて毎年7月第4土曜日を挟む3日間で行われている。2016(平成28)年11月30日に、ユネスコ無形文化遺産に「山・鉾・屋台行事」を構成する行事の1つとして登録された。「山・鉾・屋台行事」は山・鉾・屋台等と呼ばれる山車が巡行する日本の祭33件からなる。
戸畑祇園大山笠行事↓
官営八幡製鐵所は、1901(明治34)年に創業を開始した製鉄所で、現在は日本製鉄九州製鉄所の一部。2015年に旧本事務所、修繕工場、旧鍛治工場、および遠賀(おんが)川水源地ポンプ室の4資産が「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業(全23資産)」の構成資産として登録された。遠賀川水源地ポンプ室は福岡県中間市、それ以外は北九州市にある。ちなみに官営とは国が運営しているという意味で、八幡製鐵所の"鐵"は"鉄"の旧字である。
さて、小倉でも特に用事はなかったのと、長旅の疲れも溜まっていて早く本日の最終目的地の博多まで行きたいので、18:30発のJR鹿児島本線快速列車に乗って博多へと向かった。
博多駅には19:39に到着した。博多駅前ではイルミネーションをやっていて、とても綺麗だった。しばらくイルミネーションを見た後、まずはホテルへと向かった。
スマイルホテル博多↓
https://smile-hotels.com/hotels/show/hakata
本日はスマイルホテル博多というホテルに泊まる。ホテルまでは博多駅から歩いて25分ほど。地下鉄を使えば中洲川端駅から徒歩10分ほどだが、せっかくなので周辺を散策しながら歩いてホテルまで向かった。
ホテルにはGOTOトラベルキャンペーンを適用して、1泊2,340円で宿泊できた。このホテルでGOTOキャンペーンを利用するにはSTAYNAVIというサイトで割引の手続きを行わなければならず、私はそれを知らなかったので事前に手続きしておらず、チェックインの際に手続きをしたためチェックインに少々時間がかかった。
STAYNAVI↓
https://staynavi.direct/campaign/gototravel/
チェックインをした後は、夕食を食べにホテルを出た。中洲を散策しつつ博多ラーメンの店を探していると、"博多一双"という店を見つけて、調べると食べログの評価も高めだったのでここで食べることにした。中洲は博多川と那珂(なか)川に挟まれた場所のことで、九州最大の歓楽街となっている。"博多一双"はホテルからは1.3kmとやや遠い。
博多一双↓
特製ラーメンという、一番高いメニュー(1,100円)を注文した。ちなみに、普段の旅行では贅沢はあまりしないのだが、今回はGOTOキャンペーンのおかげで費用をかなり抑えられているため、食費に多くの金をかけることができている。関東で博多ラーメンといえば"博多風龍"という替玉2杯まで無料の激安店(確か豚骨ラーメン1杯500円)くらいしか行ったことがなかったが、本場の味は違った。こんなに美味しい博多ラーメンは初めて食べた。替え玉(150円)も注文してお腹いっぱいになった。
ラーメンを食べた後は、中洲と天神を少し散策した。中洲は歓楽街なのに対して、天神は九州最大の繁華街として知られている。
那珂川のすぐ近くに旧福岡県公会堂貴賓館があった。
旧福岡県公会堂貴賓館↓
https://www.fukuokaken-kihinkan.jp
1910(明治43)年に天神一帯で開催された第13回九州沖縄八県連合共進会(明治時代に催されていた博覧会)での、来賓の宿泊・接待等のための公会堂として建設されたそうだ。1984(昭和59)年5月に国の重要文化財に指定され、現在では数少ない明治時代の木造公共建築物として一般に公開されている。
30分1,000円と書いてあった。
この後は、ホテルに戻って休んだ。
さて、場面は翌朝である。今回の宿泊は朝食付きだった。和食か洋食の希望を聞かれ、洋食と伝えたので洋食を食べた。朝食を終えると、チェックアウトを済ませ、とりあえず博多駅まで歩いた。
博多は都会のイメージが強いかもしれないが、中世には日本最大の貿易港湾都市として栄え、中世に由来する歴史・伝統・文化が数多く伝わっている。旧市街では、歴史ある寺社が連なる静寂な街並みや、伝統工芸や伝統芸能の文化を感じることができる。今回は旧市街を詳しく見ることはしなかったが、また博多に行く機会があったら旧市街にも注目してみたい。
博多はあまおうやいちじくも名物として知られている。博多駅に着いたら、JR博多シティの屋上にある"つばめの杜ひろば"に行ってみた。
つばめの杜ひろば↓
https://www.jrhakatacity.com/tsubame/
ここは空港が近いので、飛行機が飛んでいるのを何度か見た。
福岡ポートタワーも見えた。福岡タワーも見えるはずだったのだが、どこにあるのかよく分からなかった。
福岡タワー↓
https://www.fukuokatower.co.jp
つばめの杜ひろばの後は、博多駅から地下鉄空港線に乗り、天神駅へと向かった。
天神地下街もイルミネーションがあって綺麗だった。さて、一般に天神でやることと言えば買い物ということになるかも知れないが、私は買い物には興味がなく、ここに来た目的は博多名物の明太子を食べることだ。
福岡パルコの中にある"天ぷらたかお"という天ぷらの店に行った。11時から開店で、開店と同時に店に入ったが、どんどんお客さんが入ってきて繁盛しているようだった。
天ぷらたかお↓
http://tempura-takao.jp/page-about/
この店は天ぷらの店だが、なんと明太子が食べ放題なのだ。私は"たかお定食"というメニューを注文した。こちら値段が1,000円なのだが、GOTOキャンペーンの1,000円分の地域共通クーポンを利用して実質タダで食べることができた。
天ぷらは揚がったものから順番に持ってきてくれるスタイル。常に揚げたてが食べれてとても良かった。明太子に関しては、食べ放題ということで沢山食べてやろうと意気込んでいたが、考えてみればそんなに沢山食べれるものでもなく、結局1回お替りしただけだった。しかし、天ぷらも明太子も美味しく大満足だった。ご飯はお替りはできなかったが、ランチタイムは大盛り無料ということで大盛りを食べた。他にも味噌汁と漬物も付いてきて、豪華なランチとなった。調べてみると横浜や渋谷にも店舗があるようなので、また機会があったら行ってみたい。
天ぷら定食を食べた後は、まだ少し時間があったので天神地下街などでブラブラとして過ごした。
このライオン像は、ロンドンのトラファルガー広場にあるネルソン記念塔下のライオン像を模したもの。"気品と勇気と度量"の象徴として、また、来店客の守護神として全国の三越に設置してあると書いてあった。
では、今回はここまでにしよう。この後は福岡県の太宰府に寄った後、佐賀県へと向かうので、次の記事でその時の様子を紹介したい。
次の記事はこちら↓
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