【四国&九州(27)】おんせん県大分!別府温泉を観光【地獄めぐり】
2020年12月11日(金)〜2020年12月29日(火)の約20日間にかけて主に四国と九州を旅してきた時の様子を記事にしている。
前回の記事はこちら↓
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本日は2020年12月24日(木)。由布院を観光してきた私は、庄内駅から11:02発のJR久大本線に乗り、途中大分駅でJR日豊本線に乗り換えて別府駅に到着したのは12:05だった。
まずは駅前にあったロッテリアで昼食を食べ、別府地獄めぐりへと向かった。
別府地獄めぐり↓
別府市鉄輪・亀川の地獄地帯は千年以上も昔から噴気・熱泥・熱湯などが噴出していたことが「豊後風土記」に記され、近寄ることもできない、忌み嫌われた土地であったといわれている。そんなところから「地獄」と称されるようになり、今も温泉噴出口を「地獄」と呼んでいる。
「地獄」が観光施設となったのは明治末期以降のことであり、1928(昭和3)年「別府観光の礎」となった油屋熊八が日本で初めて「バスガイド付き遊覧バス」の運行を開始したことにより、鉄輪地区に旅館・商店が立ち並び、大勢の観光客や湯治客で賑わってきた。先程の写真にも写っているが、別府駅前には油屋熊八の偉業を称えてブロンズ像が建てられている。
この日はクリスマスイブだったためか、サンタの格好をしていた。また、コロナ禍ということもあってマスクを付けていた。
別府市内には多くの地獄が存在するが、その中でも地獄めぐりで有名な別府地獄組合に加入しているのは「海地獄」「鬼石坊主地獄」「かまど地獄」「鬼山地獄」「白池地獄」「血の池地獄」「龍巻地獄」の7つで、私は今回この7つの地獄をめぐる。この7つのうち、「海地獄」「血の池地獄」「龍巻地獄」「白池地獄」の4地獄は平成21年7月23日に、温泉としては全国で初めて国指定名勝となった。4地獄の指定理由は「日本古来の温泉地として名高い別府の中でも、独特で多様な色彩・形態の下に湧出する鑑賞上の価値、名所的・学術的価値の高い泉源である」となっている。
まずは別府駅西口からバスに乗って「海地獄」へと向かった。
海地獄のチケット売り場で共通券を買った。これががあれば7箇所の地獄が見学できる。
硫酸鉄によってコバルトブルーの色をしているとのことだったが、天気が悪かったせいかあまりそのようには見えなかった。1200年前に鶴見岳の爆発によってできたとされ、摂氏98度もあるそうだ。
海地獄を見た後は、「鬼石坊主地獄」へと向かった。海地獄から鬼石坊主地獄へは歩いてすぐである。
灰色の熱泥が大小の球場をなして沸騰する様が坊主頭に似ており、鬼石という地名に由来して鬼石坊主地獄と呼ばれている。摂氏99度。海地獄と比べると大分地味だという印象だったが、これはこれで面白かった。
次は「かまど地獄」へと向かった。鬼石坊主地獄からかまど地獄へは歩いて5分ほどであった。
途中、山地獄もあった。先述した通り、別府市内には今回訪れる7つの地獄以外にも地獄はたくさんあり、「山地獄」もその1つである。
八仙人とは悪人を懲らしめ貧しい人を助ける8人の仙人のことであり、中国の民間伝説の中で多くの物語が伝わっている。この彫刻像は別府市と中国・烟台(えんたい)市の友好都市提携20周年記念として烟台市から寄贈されたものである。
かまど地獄はもとは柴石温泉下手にあったが枯渇したため、現在地に移転したものである。旧の釜戸地獄にて、竈門八幡宮の大祭で神前に供える御飯を炊いていたことからこの名が付いた。他の地獄をダイジェストにして集めたような雰囲気で、それぞれ「地獄の一丁目」から「六丁目」と名付けられている。
かまど地獄の後は、「鬼山地獄」へと向かった。かまど地獄から鬼山地獄へも歩いてすぐである。
鬼山という地名に由来する鬼山地獄。別名「ワニ地獄」の名で親しまれている。1923(大正12)年に日本で初めて温泉熱を利用したワニの飼育を始め、約80頭のワニを飼育している。
ワニは夜行性らしく、ほとんど動かなかった。鬼山地獄の次は「白池地獄」へと向かった。鬼山地獄から白池地獄へも歩いてすぐである。
白池地獄は含ホウ酸食塩泉で、噴出するときは透明だが、外気に触れ温度が下がると白濁する。園内では温泉熱を利用して大型熱帯魚を飼育している。
白池地獄の次は「血の池地獄」へと向かった。白池地獄から血の池地獄へは少し遠く、バスで行った。
血の池地獄は「豊後国風土記」や「万葉集」にも「赤湯泉」等と記された日本最古の天然地獄である。酸化鉄などによって朱色に染まっていることからこの名がある。1927(昭和2)年には高さ220mにまで達する大爆発を起こしたという。
血の池地獄の次は、最後の7つ目の地獄「龍巻地獄」へと向かった。血の池地獄から龍巻地獄へは歩いて3分ほどだった。
龍巻地獄は30〜40分間隔(降水量で変化するとされる)で噴出する間欠泉であり、世界の間欠泉の中でも休止時間の短いことにおいて注目を浴びている。私が訪れた時はちょうど噴出しており、タイミングが良かった。
私が来てからも5分くらいは噴出していた。噴出が終わるのを見届けたのち、龍巻地獄をあとにした。
龍巻地獄を見た後はJR亀川駅へと向かった。龍巻地獄から亀川駅までは歩いて25分ほどある。
この薬局では薬の待ち時間に足湯に入れるらしい。
まずは16:10亀川駅発のJR日豊本線に乗り、17:08に大分県宇佐市にある柳ヶ浦駅で降りた。駅では改修工事をやっており、工事は2021年3月中旬までの予定と書いてあった。
次は柳ヶ浦駅を17:56発のJR日豊本線に乗り、18:13に大分県中津市にある中津駅で降りた。中津市は、慶應義塾大学の創設者でもある福沢諭吉のふるさとだそうだ。
次は中津駅18:17発のJR日豊本線に乗り、19:26に福岡県北九州市にある小倉駅で降りた。駅中にあったうどん屋でかしわうどんを食べた。西日本では鶏肉のことを「かしわ」と呼ぶそうで、「かしわうどん」は小倉の名物でもある。
うどんを食べた後は、少し駅から出てみた。
旦過市場に行ってみたが、時間も遅かったのでほとんどの店は閉まっていた。
この後は小倉駅20:13発のJR山陽本線に乗り、下関駅には20:32に到着した。
小倉駅から下関駅へ向かう途中、車内の電気が消えた瞬間があった。これは門司駅を境として架線に流れている電流が九州側は「交流」、本州側は「直流」と異なり、この「交流」と「直流」の切替点を通過するとき、電車の構造上の理由から車内の照明が消えるとのことだ。私は戸惑ったが、他の乗客は何事もなかったようにしており慣れている様子だった。
今日のホテルは下関駅東口から徒歩2分と近く、駅前からもホテルが見えた。
下関ステーションホテル↓
http://www.shimonoseki-station-hotel.jp/index.php
今日の部屋は個室カプセルである。カプセルでない普通の個室の部屋もあるが、値段が安いので私はカプセルに泊まった。GOTOキャンペーンを利用し、1泊2,243円で泊まった。ちなみにホテルには大浴場があり、また、朝食も付いていた。高校生が部活の合宿か何かで来ているようで、大浴場は学生たちで賑わっていた。コロナで心配な面もあるため、私は体を洗ったらすぐに出ることにした。
では、今回はここまでにしよう。翌日は山口県美祢市にある秋吉台・秋吉洞に行ってきたので、次の記事で紹介したい。
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【四国&九州(26)】大分県にある由布院温泉を観光【金鱗湖・ドクターフィッシュ】
2020年12月11日(金)〜2020年12月29日(火)の約20日間にかけて主に四国と九州を旅してきた時の様子を記事にしている。
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本日は2020年12月24日(木)。前日の夜に大分駅近くのホテルに泊まった私は、06:35大分駅発の久大(きゅうだい)本線に乗って由布院へと向かった。
まだ朝早かったので、辺りは暗かった。私が旅をした当時、2020年7月の熊本県を中心に発生した豪雨の影響で久大本線の庄内駅〜由布院駅間が不通となっており、代行バスによる運行だった。なのでこの時は07:17に庄内駅で電車を降り、07:27庄内駅発の代行バスに乗って由布院駅へと向かった。代行バスは地元の学生や通勤客で満席で、座ることはできなかった。なお、2021年2月13日から久大本線は前線で運転を再開している。
少しバスが遅れていて、由布院駅には8時過ぎに到着した。
さっそく温泉の煙が見えた。
由布院温泉↓
由布院温泉は標高1,584mある由布岳の麓に広がる温泉地で、温泉湧出量、源泉数ともに全国2位を誇る。ちなみに温泉湧出量、源泉数ともに1位は同じ大分県にある別府温泉である。別府温泉にもこの後訪れる。
この日はまだ朝早かったので温泉には入らない。今回は由布院での温泉以外の楽しみ方をご紹介しよう。まずは金鱗湖(きんりんこ)へと向かった。
金鱗湖はやや長方形をしていて、長辺約100m、短辺約70mの湖である。湖底は緩やかな「すり鉢」状になっていて、最深部は約2mである。水の流入は下ん湯の横、ハエ川の湯水と天祖神社境内の湧水、そして湖底深部の湧水の供給から成り立っており、1日23,000立方メートルが流出して大分川の源流となっているそうだ。
金鱗湖は温度が高いため、湯気が立ち上がり何とも幻想的な光景となっている。冬の早朝にしかこのような光景は見れないとの情報もあったが、今回は見ることができて良かった。
明治初期の儒学者・毛利空桑(くうそう)が池のそばの露天風呂「下ん湯」から湖面を眺めていると、泳いでいる魚の鱗が夕日で金色に輝く姿を見て「金鱗湖」と名付けたそうだ。露天風呂「下ん湯」は今でも存在しており、金鱗湖を眺めることができる。
湖には鯉もいた。ちなみに写真からも分かるかもしれないが、この日は雨が降っていた。金鱗湖には他にも鮒(ふな)、ハヤ、うなぎ、ナマズ、テラピア(豊後鯛)、グッピー、すっぽん亀、石亀などが生息しているそうだ。
金鱗湖を見た後は、ドクターフィッシュ足湯を体験しに"ゆふいん夢ひろば"へと向かった。由布院には複数の足湯スポットがあるが、中でも人の古くなった角質を食べる性質を利用しピーリングやマッサージ効果が期待できると言われる"ドクターフィッシュ"が人気だ。私はドクターフィッシュは今回が初体験なのだが、体験できる場所がいくつかあるので、金鱗湖から徒歩5分くらいの場所にある"ゆふいん夢ひろば"に行くことにした。
ゆふいん夢ひろばは足湯だけでなく、宿泊や露天風呂もやっているようだ。中に入ってみるとお店の人は誰もおらず、"誰もいない場合はここに500円入れてから足湯にお入りください"といったような感じの文言が書かれた箱が置いてあった。財布を見ると小銭が400円しかなかったので、足湯に入っていればそのうち誰か来るだろうと思い、とりあえず400円だけ箱に入れて残りの100円は後で払うことにして足湯に入る準備をした。と思ったら、靴を脱いだりしている時にお店の人が来て「500円入れましたか?」と聞かれたので「小銭がなくてまだ400円しか入れてません」と言ったら、千円札を両替をしてくれて残りの100円も払った。
お店の人に「初めてですか?」と聞かれて「初めてです」と答えると、「最初は少し気持ち悪かったりくすぐったかったりすると思うんですけど、慣れると気持ちよくなってきますよ」と言われた。特に何の心の準備もしていなかったのだが、そう言われると少し不安になってきたのだが、とりあえず入ってみよう。
写真だと少し見えにくいだろうか。魚がたくさん私の足に寄ってきているのが分かるだろうか。足をお湯につける直前までは魚の姿は全く見えなかったのだが、足を入れた瞬間魚が大量に寄ってきた。驚いたのと同時にめちゃくちゃくすぐったく、真顔を保つことは不可能だった。お店の人は割りと目の前にいたが、幸いコロナのためマスクをしていなかったので、顔が歪んでいたことはきっと気付かれていなかっただろう。
この魚の正式名称は"ガル・ルファ"といって、コイの仲間だそうだ。ガル・ルファは人間の角質を食べることでアトピー性皮膚炎や乾癖の治療にも効果的な能力を発揮してきたことから「ドクターフィッシュ」と呼ばれるようになった。ドイツではこの「ドクターフィッシュセラピー」が正式な医療行為として認定されているらしい。
最初はくすぐったかったが、お店の人の言う通り徐々に慣れてきて、足湯の暖かさも相まって気持ち良くなってきた。結局30分くらいゆっくりしていた。ちなみにここは時間無制限のため500円払えばどれだけ滞在しても自由である。
足湯を出た後は、とりあえず由布院でやりたいと思っていたことはやれたので駅の方に戻った。
これはおそらく由布岳。天気が悪かったので山頂までは見えなかった。
辻馬車のサービスもあるようだ。
10:17由布院駅発のバスに乗り、庄内駅に到着したのは10:42だった。次は同じ大分県の温泉地である別府温泉に行く。
では、今回はここまでにしよう。次は別府温泉についてを記事にする。
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【四国&九州(25)】宮崎県のB級グルメ"チキン南蛮"を食す!【直ちゃん】
2020年12月11日(金)〜2020年12月29日(火)の約20日間にかけて主に四国と九州を旅してきた時の様子を記事にしている。
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本日は2020年12月23日(水)。宮崎県の青島を観光してきた私は、13:48青島駅発のJR日南線に乗り、大分方面へと向かった。
途中、南宮崎駅で乗り換えがあった。南宮崎駅に到着したのは14:13、次の列車は14:45発と30分ほど時間があったので、駅から出てみた。
この辺りもフェニックスが植えられており、南国風の雰囲気を出していた。
次は日向市駅で降りてみた。日向市駅に着いたのは15:54である。特に目的があったわけではないが、周辺を散策してみることにした。
駅から少し歩いたところに、かつて走っていた蒸気機関車が展示されていた。昭和15年12月7日に国鉄小倉工場で製作され、主に鹿児島本線、日豊本線で活躍したそうだ。その後の昭和49年4月に日豊本線などの電化に伴い第一線から姿を消した。国鉄の厚意によって日向市が借り受け、教材として大切に保存されているという。
あとは駅周辺にはスナックの店が多くあるという印象だった。まだ時間も早かったので営業はしていなかったが、コロナ対策のため県外のお客さんはお断りしているという旨の貼紙が多くの店のドアにあった。
駅の中の観光案内を見て、日向岬(馬ヶ背)に行ってみたいと思った。今回はなんの事前情報もなしに来てしまい、これからゆっくり観光する時間はないのだが、駅の向かいにある観光案内所で自転車も借りれるようなので次にここに来た時は自転車を借りて行ってみようと思う。
日向岬サイクリングマップ↓
http://www.hyuga.or.jp/public/pdf/cycling.pdf
"願いが叶うクルスの海"も馬ヶ背から近いようなので、そこにも行ってみたい。展望所から見下ろすと波の侵食で削られた岩によって海が十文字(クルス)に浮かび上がり、近くの小さな岩場と合わせると「叶」という文字に見えるため、ここに訪れると願いが叶うという言い伝えがあるそうだ。
16:56日向市駅発の電車に乗り、次は延岡駅で降りた。延岡駅には17:23に到着した。 次の大分方面への電車は19:33発なので、2時間以上時間がある。ここでやりたいことは1つあったので、まずはそれを実行しよう。
ここは元祖チキン南蛮の店とのことで、来てみたいと思っていたのだ。
メニューは3つのみ。迷わずチキン南蛮定食を注文。
結構シンプルだ。まず、普通チキン南蛮といえばタルタルソースがかかっているのだが、元祖はそれがかかっていない。食べてみると、タルタルがない分、甘酸っぱい南蛮酢の味が押し出されてかなりさっぱりとしてる印象だ。これはこれでありではあるが、タルタルが大好物な私には少し物足りなさを感じた。こちらも十分美味しかったのだが、個人的にはタルタルありの方が好きである。
チキン南蛮を食べた後は、まだ時間があるので周辺を散策した。
今山大師↓
延岡駅から歩いて15分ほどのところに今山大師があるようだ。1839(天保10)年、延岡で疫病が猛威を振るった際に、延岡城下の大師信徒たちが高野山金剛峯寺まで行き、弘法大師座像(現在の本尊)を勧請して「家内安全」「息災延命」「五穀豊穣」「商工発展」の祈願のために大師庵を経てたことが縁起となっている。今山大師寺の頂上には、高さ17mの日本一高い弘法大師像があるらしい。今回はもう暗かったので行かなかった。
"山下新天街"という商店街のようなものもあった。もう暗くなっているとはいえまだ18時くらいだが、ほとんどの店は閉まっていた。
エンクロス↓
延岡駅には"エンクロス"という複合施設が併設されていた。館内には約2万冊もの閲覧図書があり、好きな席で自由に読むことができる。ただし貸出はしていないそうだ。ただ、エンクロスには閲覧図書とは別に蔦屋書店が入っている。また、スターバックスも入っており、購入したコーヒーを飲みながら閲覧図書を読むなんてこともできる。もちろんWi-Fiもあり、コンセントもあるので充電もできる。ということで、残りの時間はここで時間を潰すことにした。それにしてもなんて快適な駅なんだ。"1時間早く来て待っていたい"ような空間を目指しているとのことだが、まさにそれが実現されている。
時間が近づいてきたので駅の改札に入る。実はこれから乗る延岡駅-佐伯駅区間は普通列車の本数が極端に少なく(延岡駅→佐伯駅は1日2本、逆は1本)、そのために普通列車用の車両を用意するのも面倒ということで特急列車の車両が普通列車として使われているそうだ。佐伯駅まで1時間強の乗車だったが、とても快適に過ごすことができた。ちなみに乗客は、延岡駅から乗ったのは私と女子高校生2人、女子高校生は2人とも途中の駅で降りてあとは乗客は私1人のみだった。
20:43に佐伯駅へ到着。ここからは大分県である。この日の最終目的地は大分駅で、これから21:13発のJR日豊本線に乗る。
佐伯市の特産品がいくつかあるようだ。ちなみに佐伯市は大分県の市区町村の中で最も面積が大きいそうだ(903.11平方キロメートル)。人口は大分市、別府市に中津市に次ぐ第4位である。
22:44に大分駅に到着した。まずはホテルにチェックインすることにした。
ホテルクドウ↓
今日のホテルは大分駅から歩いて5分ほどのところにあった。GOTOトラベルキャンペーンを利用して1泊2,275円で宿泊した。
温泉があった。先に夕食を食べに行きたかったが、温泉は24時までと書いてあったので先に温泉に入ってから夕食を食べに外に出た。
途中、セントポルタ中央町という商店街のようなところがあった。人はほとんどいなかった。
赤レンガ館もあった。1913(大正2)年に旧第二十三国立銀行本店として建てられた。設計は東京駅などの設計で知られる辰野金吾である。
これは大分市中心街の目抜き通りであり、この先の国道197号を渡った先は大分きっての歓楽街"港町"となるが、今日はそこまでは行かなかった。赤レンガ館もこの中央通り沿いにあった。
ジョイフルにやってきた。
ジョイフル↓
ジョイフルは大分市に本社を置き、九州を中心に展開するファミリーレストランである。
大分はとり天が名物とのことなので、とり天定食を注文。
普通に美味しかった。600円でこの内容ならかなりのコスパであろう。
食事を終えた後は、ホテルに戻って休んだ。では、今回はここまでにしよう。翌日は大分を観光してきたので、次回以降の記事で紹介しよう。
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【四国&九州(24)】かつての新婚旅行の聖地!宮崎県の"青島"を観光
2020年12月11日(金)〜2020年12月29日(火)の約20日間にかけて主に四国と九州を旅してきた時の様子を記事にしている。
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本日は2020年12月23日(水)。前日の夜、宮崎駅近くのホテルに宿泊した私は、ホテルのチェックアウトを済ませて宮崎駅へと向かった。
宮崎駅周辺は南国風の雰囲気になっていて気持ちが良い。これはおそらく"カナーリヤシ"というヤシ科の樹木である。日本では一般的にフェニックスと呼ばれており、宮崎県の木に指定されている。
これはアミュプラザ宮崎"うみ館"屋上の"アミュそら"から撮影したもの。なかなかの都会っぷりである。
宮崎駅も見える。
これは交通神社。宮崎を代表する宮崎神宮本社3柱(神武天皇、神武天皇の父母)の主祭神の分祀とされており、列車やバスの運行の安全など、交通安全祈願できる。
1960年代から1970年代にかけて宮崎を旅行先とした「新婚旅行ブーム」があった。きっかけは1960(昭和35)年、嫁ぎ先の実家が宮崎だった昭和天皇の第5皇女(第7子)の島津貴子(旧名:清宮貴子内親王)が新婚旅行で宮崎を訪問し、さらに1962(昭和37)年、当時の皇太子様ご夫妻が訪問したことである。特に青島・日南海岸周辺はプリンセスラインと呼ばれ、若者たちに人気だったそうだ。
青島は宮崎市の南東部海岸付近にある周囲860m、面積約4.4ha、高さ約6mの島で、今日これから訪れる。10:31宮崎駅発のJR日南線に乗った。
宮崎駅の"お菓子の日高"という店で宮崎名物の"なんじゃこら大福"を売っていたので、買って食べた。
お菓子の日高↓
http://hidaka.p1.bindsite.jp/shop.html
大福のつぶあんの中に栗と苺とクリームチーズが入っているという何とも異色のお菓子だが、食べてみると意外と良く合い、美味しかった。値段が420円と少々高めだが、写真だと分かりにくいかもしれないがかなり大きく、これ1個でそこそこお腹いっぱいになれるので妥当な値段だと思った。
青島駅には11:00に到着した。
この辺りにもフェニックスの木が植えられている。
この中にお土産屋やレストランが入っていた。今日の昼食はここで食べよう。
駅から海岸まで歩いて10分くらいだった。
海岸から弥生橋を渡ると青島まで行くことができる。
青島周辺の岩盤は、新第三紀(2400万年〜200万年前)に海床に規則的に堆積した砂岩と泥岩の互層が傾き地上に露出したものが、波の侵食を受け、堅さの違いにより凹凸を生じたものである。青島周辺及び日南海岸の戸崎鼻から巾着島に至る海岸にみられ、俗称「鬼の洗濯板」といわれている。
青島神社↓
青島神社は山幸彦(やまさちひこ)と豊玉姫(とよたまひめ)、塩筒大神(しおづつのおおみかみ)を祀っている。いずれも山幸海幸神話に因む神で、縁結び、安産、航海安全の神として信仰を集めている。
青島のほとんどでビロウの木が繁茂しており、その数約5,000本、最高樹齢は約300年とされている。この地域は黒潮が近海を流れ温暖な気候で雨量が多いため、ビロウが繁茂するための気候条件が揃っているのだ。ビロウもフェニックスと同様、ヤシ科の樹木である。
青島海岸に戻ってきた。幸せの黄色いポストは、青島神社に祀られている山幸彦と豊玉姫が恋文のやりとりを交わしたという神話にちなんで2014年に設置された縁結びのシンボル。実際に投函できるので、意中の人や大切な人へ手紙を送る人も多いそうだ。
皇太子殿下が青島に訪れた際、ここで御休憩なされたようだ。
野立(のだて)の意味が分からなかったのだが、調べてみると休憩と同じような意味のようだ。
青島を見た後は先程の青島屋で昼食を食べることにした。数量限定の"宮崎牛ステーキ丼"を注文した。
どうせ肉は少ないのだろうとあまり期待していなかったのだが、実際は結構たくさん肉が乗っていたのでテンションが上がった。肉は柔らかくジューシーでとても美味しかった。
青島亜熱帯植物園↓
まだ時間があったので、近くにある無料の植物園に行ってみた。
植物園内にはいくつか温室があったが、その内の"青島亜熱帯植物園大温室"を紹介しよう。
1965(昭和40)年に当時の宮崎県知事(黒木博)がシンガポール植物園を訪問したことをきっかけに、青島亜熱帯植物園とシンガポール植物園は姉妹植物園となった。その後様々な交流をし、2016(平成28)年3月、大温室のリニューアルオープンの際に姉妹植物園50周年を記念してマーライオンの像が設置されたそうだ。この像はシンガポール政府観光局から許可を得て制作された。シンガポールでは風水が重んじられており、この像も現地と合わせて縁起の良い東88度の方向を向いている。
シンガポールには2019年の5月に私も訪れたことがあり、その際にシンガポール植物園にも訪れたのだが、かなりの規模の植物園だった。世界遺産にも登録されている。また、その時にマーライオンも見に行ったのだが、工事中で見ることができなかった。なので今回見ることができて嬉しい。
植物園を見た後は、再び青島屋に戻ってきた。マンゴーパフェが美味しそうだったので、食べることにした。
"ミニ"とついているが、ミニしかないそうだ。マンゴーは宮崎県のご当地フルーツである。790円と少し高めだったが、美味しかった。
では、今回はここまでにしよう。この後は大分方面へ移動するので、次の記事で書きたいと思う。
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【四国&九州(23)】鹿児島名物"黒豚・鹿児島ラーメン・白熊"を食す!【黒かつ亭・我流風・天文館むじゃき】
2020年12月11日(金)〜2020年12月29日(火)の約20日間にかけて主に四国と九州を旅してきた時の様子を記事にしている。
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本日は2020年12月22日(火)。桜島を観光してきた私は、14時過ぎにフェリーで鹿児島本土に戻った。この日まだ何も食べていなかったので、鹿児島名物の黒豚を食べることにした。
黒かつ亭↓
天文館にある黒かつ亭というお店にやってきて、"黒かつ亭ランチ"というランチメニューを注文した。
ヒレとロースの組み合わせで、とても美味しかった。キャベツとご飯もおかわり自由だった。しかしこの後も食事の予定が立て込んでいたためおかわりは控えた。
黒かつ亭は鹿児島に2店舗、福岡に1店舗、そして東京にも1店舗あるようだ。食べたくなったら東京で気軽に食べに行けるのはありがたい。
西郷隆盛は薩摩藩の武士で、薩長同盟の成立や王政復古に成功し、戊辰戦争では新政府軍側の指導者の1人として巧みに主導した。明治維新後は士族の反乱が続く中で、1877(明治10)年に西南戦争の指揮を取るが、敗れて城山で自害した。
それにしてもこの銅像、もっと格好良く作れなかったのかなどと思いながら次は城山公園へと向かった。
城山公園は桜島のビュースポットとして知られているが、歩いて行く場合はこの階段を登らなければならない。徒歩で行くのは結構な体力が必要であった。
城山公園の看板を見て知ったのだが、桜島には林芙美子文学碑があるらしい。林芙美子といえば、広島県の尾道にゆかりのある小説家として尾道にも林芙美子像があったが、彼女は桜島にもゆかりがあるようだ。調べてみると、母親が桜島で暮らしていたことがあり、彼女自身も幼いころ一時期を鹿児島で過ごしたそうだ。
そしてお待ちかねの城山公園から見た桜島である。これは絶景である。正直、ここまで来るのはかなりしんどかったが、来た甲斐があった。海岸から見た桜島も良かったが、城山から見る鹿児島の市街地と一緒に写る桜島も最高である。
おそらく桜島港から鹿児島港に向かっているであろうフェリーが見えた。
山形屋も見えた。
城山公園に行った後は、また天文館に戻ってきた。城山に登って良い運動をしたので、お次は鹿児島ラーメンを食べることにした。
炙り焼豚ラーメン極(980円)を注文。
これまた何とも美味そうだ。麺は中太のストレートタイプ。具材はチャーシュー、味玉、ねぎ、もやし、キャベツ、ニンニクと贅沢である。スープは豚骨ベースでこれは間違いないという味だった。
我流風はチェーン店で、鹿児島県内に8店舗を展開しているようだ。
天文館むじゃき↓
さて、まだこれだけでは終わらない。お次は白熊の本家である"天文館むじゃき"にやってきた。コンビニなどで売っている"しろくま"の本家がここ鹿児島県の"天文館むじゃき"なのだ。
とりあえず初めてなのでナチュラルな"白熊(レギュラー)"を注文。
写真だと分かりづらいかもしれないが、かなりのボリュームである。店員さんが運んできたときに、思わず笑ってしまった。しかし食べてみると味はとても美味しい。果物も種類豊富に乗っていて良かった。鹿児島ラーメンを食べた直後だったので後半苦しかったが、何とか食べ切ることができた。ちなみにこの店には白熊以外にも食事のメニューはあったはずだが、他のお客さんもほとんどみんな白熊を注文していた。
さて、鹿児島でやりたいことは大体やった。この日は宮崎まで行く。最初は17:33鹿児島中央駅発の電車で宮崎駅まで行こうと思っていたが、今日は朝ゆっくりできて疲れも溜まっていないのと、翌日も朝ゆっくりできるので1本遅い18:46発の電車で行くことにした。それまでその辺をブラブラしていた。
西郷隆盛はここで誕生したらしい。
鹿児島中央駅に戻ると、近くに観覧車が見えた。
写真は宮崎へ向かう電車の車内。宮崎のアミュプラザはつい最近(2020年11月20日)オープンしたらしい。
21:25に宮崎駅に到着。
アミュプラザもあった。イルミネーションも綺麗だった。
このポストはアミュプラザのオープンに合わせて設置されたそうだ。日向夏は宮崎特産の柑橘果物である。
西橘通周辺は宮崎市最大の歓楽街で、通称「ニシタチ」と呼ばれているそうだ。実際、キャバクラや風俗などのキャッチも多かった。今日のホテルはこの近くにある。
アリストンホテル宮崎↓
https://www.ariston.jp/miyazaki/
この日のホテルは良い感じの雰囲気だった。GOTOトラベルを使って1泊2,275円で宿泊した。宮崎駅からは徒歩15分ほどだった。チェックインを済ませ、夕食を食べに再び外に出た。
ホテル周辺を歩いていると、"辛麺"の店がやたら目に入った。調べてみると宮崎の名物のようなので、入ってみることにした。
とりあえず初めてなので普通の"辛麺"にしよう。無料で"石焼きご飯"か"ご飯"が付いてくるとのことなので"石焼きご飯"を頼んでみる。
麺の辛さ・種類・量が選べるようだ。私は中辛・中華麺・大で注文。紙に書いて渡すスタイルだったので、紙に内容を書いて店員さんに渡した。
この店は深夜営業の店だった。コロナでどこも早く閉まってしまうので、こういう店はありがたい。
まず最初に辛麺がきた。なかなか辛そうだ。
石焼きご飯もきた。辛麺は結構な辛さだった。少し苦戦したが、ご飯の力も借りて無事完食した。石焼きご飯に関しては、まあ普通のご飯でも良かったかなという印象だった。
お腹いっぱいになったのでホテルへと戻る。
どうやら"チーズ饅頭"と"なんじゃこら大福"というのが宮崎の名物のようだ。
と思ったら近くのローソンでチーズ饅頭を売っていたので早速買ってホテルで食べた。チーズの味をした饅頭で、普通だった。では、今回はここまでにしよう。翌日は宮崎を観光してきたので、次の記事で紹介したい。
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【四国&九州(22)】鹿児島県のシンボル"桜島"を観光
2020年12月11日(金)〜2020年12月29日(火)の約20日間にかけて主に四国と九州を旅してきた時の様子を記事にしている。
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本日は2020年12月22日(火)。前日の夜に鹿児島の天文館近くに泊まった私は、桜島に行くため、桜島へのフェリーターミナル鹿児島港へと向かった。
桜島↓
近くに山形(やまかた)屋があった。
山形屋↓
山形屋は鹿児島市に本社を置く百貨店で、鹿児島県・宮崎県で合わせて5店舗を展開している。
鹿児島港に近づくと桜島が見えてきた。
鹿児島港から桜島のフェリーターミナル桜島港までは通常15分ほどで到着するが、1日1便限定で"よりみちクルーズ"を運行している。よりみちクルーズは通常の定期航路とは異なるコースで、錦江湾(鹿児島湾)に浮かぶ神瀬灯標、大正溶岩原沖などによりみちし、約50分間かけて桜島まで行くというプチクルーズである。よりみちクルーズは11:10に出航で、私もそれに乗ることにした。料金は通常の航路が片道200円に対し、よりみちクルーズは600円である。
ちなみに桜島はかつては島だったが、1914(大正3)年の噴火により鹿児島市の対岸の大隅半島と陸続きになっている。しかし薩摩半島とは陸続きになっていないので、鹿児島市側から桜島に行こうとすると船で行くか泳ぐということになる。
よりみちクルーズにはボランティアガイドの方が1名乗船していて、桜島についてガイドしてくれる。ガイドの話によると、この日の前日に桜島が噴火したらしい。その時の写真を見せてもらうと、桜島から大きな黒い煙が出ていた。乗客達は皆「怖い」と言って驚いていたが、ガイド曰くこのくらいの噴火は日常茶飯事とのことで、「今日も噴火したら面白いのに〜」と笑顔で言っていて乗客を驚かせていた。たまに全国的にニュースになるような規模の噴火はごく稀で、実際はニュースにならないような小さな噴火は日常的に起こっており、そのほとんどは鹿児島の住民の生活には影響はないそうだ。
船内からも桜島が見える。
12時ごろ桜島に到着した。まず目に入ったのがこのローソンだ。通常青色をしているローソンの看板が茶色っぽい色になっている。どうやら鹿児島市の景観条例にのっとってこのようにしているそうだ。京都でも景観を守るため看板の色に派手な色が使えないなどの規制がされているが、それと似たようなものだろうか。
まずは桜島ビジターセンターに訪れてみた。
桜島の噴火回数は去年は228回、今年は211回(12月22日時点)。およそ3日に2回のペースで噴火しているという計算になる。噴火で灰が降ってくる時は桜島の小学生はヘルメットを被って登校するようだ。
足湯があった。全長約100mあり、日本最大級の足湯とのことだ。私も少し入ったが、桜島を間近に見ながらの足湯は最高だった。
遊歩道があったので、ここを歩きつつ近くの展望所に行くことにした。
釣りをしている人がいた。どうやってあそこまで行ったのか。
良い眺めである。
桜島では猫を頻繁に見掛けた。人を見ると近づいてきて、どうやら腹を空かせているようだった。しかし私は何も食料を持ち合わせておらず、というか私もこの日まだ何も食べておらず腹が減っていた。
展望所に着いた。良い眺めである。
海の反対には桜島が見える。
1914年の爆発前はちょうどこの石碑の下に烏島という、高さ20m、周囲500mの無人島があった。溶岩は1月13日(噴火翌日)から18日まで桜島の中腹から流れ、烏島は溶岩の下20mに埋もれてしまった。1つの島が溶岩で埋もれてしまうのは火山史上でも非常に珍しく、この出来事を永久に記念するため1951年1月石碑が立てられたそうだ。
桜島ではサクラジマアイランドビューという観光に便利な循環バスも走っており、1日乗車券は500円で購入できる。今回は短めの滞在だったので徒歩で行ける範囲にしか行かなかったが、次の機会にはバスを利用してもう少し広く周ってみたい。
噴火した時のための退避壕も用意されていた。
また猫がいた。
今回の桜島での滞在時間は2時間弱で、時間があっという間に過ぎてしまった。この後は13:50発のフェリーに乗り、鹿児島港へと戻った。
よりみちクルーズではない通常の船も十分快適だった。14時過ぎに鹿児島港へと戻った。では、今回はここまでにしよう。この後は鹿児島本土を観光してきたので、次の記事で紹介しよう。
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【四国&九州(21)】熊本県のシンボル"阿蘇山"を観光【大観峰・草千里】
2020年12月11日(金)〜2020年12月29日(火)の約20日間にかけて主に四国と九州を旅してきた時の様子を記事にしている。
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本日は2020年12月21日(月)。前日の夜に熊本に泊まった私は、06:22熊本駅発の電車に乗るために6時頃にホテルをチェックアウトした。前日は路面電車を利用したが、今回は歩いて熊本駅まで向かった。ホテルから駅までは歩いて20分くらいかかる。
ホテルでおすすめの店が紹介されていた。しかし、前日は熊本に到着したのが遅く、また今日も熊本を出るのが早いため、これらの店に行く機会はなかった。
まだ朝も早かったため、辺りは暗かった。
06:22に熊本駅発のJR豊肥本線に乗り、07:57に阿蘇駅に到着した。今日は阿蘇山を観光する。午前中は大観峰に行き、午後は草千里に行く。ちなみにここJR阿蘇駅は巨大噴火によって形成されたカルデラの中にある。豊肥本線は熊本地震の影響により2016(平成28)年4月14日から肥後大津〜阿蘇間で不通になっていたが、2020年8月8日(土)から無事運転再開した。
大観峰まではバスで行くのだが、バスの出発時刻が09:15とまだ1時間近くあるので阿蘇駅周辺を散策した。
この周辺は温泉が沸いているようだ。
ここからバスが出ている。バスは予定通りの時刻に到着し、出発した。バスに乗る前に念のため「このバスは大観峰まで行きますか?」と聞くと、「大観峰の入口までしか行かないよ。バス停から大観峰まで30分くらい歩くよ」と言われた。そう、大観峰までバスで行く場合、最寄りのバス停"大観峰入口"から大観峰に行くにはそこからさらに30分くらい登山しないといけないのだ。しかし、そのことは事前に知っていたので、「大丈夫です」と答えてバスに乗った。バスの乗客は、阿蘇駅から大観峰入口まで私1人だった。
阿蘇駅周辺はカルデラの中のため、360度どこを見渡しても山に囲まれている。阿蘇駅に到着した時は少し天気も曇り気味だったが、徐々に天気も良くなってきた。乗客が私1人だったため、運転手が私に「どこから来たの?」とか色々聞いてきて、大観峰入口に着くまでずっと会話していた。九州を1周していると言うと、九州の観光地や名物を色々教えていただいた。
大観峰入口バス停には09:47頃に到着した。ここから30分歩くと大観峰に着く。大観峰は阿蘇山の外輪山の北側の中では最高峰であり、標高935.9m。阿蘇エリアで人気の展望スポットとして知られており、多くの観光客を集めている。ちなみに外輪山の南側も合わせると、標高1,095mの俵山が最高峰となっている。
途中の道で牛がいた。阿蘇は"あか牛"が有名だが、おそらく写真もあか牛であろう。この後、昼食であか牛を使ったカルビ弁当を食べる。
大観峰に到着した。では、撮ってきた写真をいくつか紹介しよう。
これは絶景である。8月に知床に行った時も絶景に感動したが、その時と同じかそれ以上の感動である。
阿蘇五岳は、カルデラの内部にある5つの岳の総称である。写真だと分かりづらいが、ざっくりと左から順に「根子岳(ねこだけ)」「高岳(たかだけ)」「中岳(なかだけ)」「烏帽子岳(えぼしだけ)」「杵島岳(きしまだけ)」である。「高岳」(写真中央)が最も標高が高く、1,592mとなっている。このうち「中岳」は今も噴煙を上げており、平常時には火口を間近に見学することができる。今回の旅では火口までは訪れなかったが、またの機会に是非とも行ってみたい。ちなみに"阿蘇山"とは、この阿蘇五岳や外輪山を含む阿蘇一帯の山々の総称のことである。
大観峰を見た後は、バス停に戻った。
雪がうっすらと積もっていた。
バス停までの道はこんな感じである。車も通るので注意が必要である。
遠くに風車が見えた。
これはおそらく、くじゅう連山。くじゅう連山は大分県にある山々の総称で、一帯は"阿蘇くじゅう国立公園"に指定されている。ちなみに今いる阿蘇山一帯も同様に指定されている。写真の中央をよく見てみると噴煙のようなものが見える。調べてもよく分からなかったのだが、くじゅう連山の中の"硫黄山"という山が今でも噴煙を上げているといったような情報もあったので、それかもしれない。
帰りにも牛を見た。
大観峰入口を11:39に出るバスに乗り、12:13に阿蘇駅前に戻った。帰りのバスも乗客は私1人だった。次はまたバスに乗り、今度は草千里に行くのだが、バスの発車時刻は13:15とまだ1時間ある。駅近くの売店で弁当を販売していたので、買って食べることにした。飲食スペースも用意されていた。
"あか牛カルビ弁当"と"馬力どん"を購入した。あか牛が阿蘇の名物という話は先ほどしたが、馬肉も熊本の名物である。どちらも美味しかった。ちなみにGOTOトラベルの地域共通クーポンを利用したので、支払額は350円のみだった。
大観峰からはよく見えなかったが、駅前から中岳の噴煙と思われる煙が見えた。
大観峰の時のバスは路線バスのような感じだったが、今回のバスは高速バスのような感じで少しグレードアップした。しかも音声ガイドが流れていて、周辺の解説などもしてくれた。乗客は私以外にももう1人乗っていた。
バスの中から中岳の噴煙も見えた。
草千里のバス停には13:41頃に到着した。もう1人の乗客はここでは降りなかった。このバス停よりさらに2つ先に進むと"阿蘇山西駅(阿蘇山上)"というバス停があり、そこが中岳火口への最寄のバス停となっているので、おそらくそこに行くのだろう。
草千里には博物館もある。
草千里阿蘇火山博物館前↓
草千里は、烏帽子岳中腹にある直径約1kmもの大草原で、大観峰と同様、阿蘇の代表的な風景の1つとなっている。
まずは博物館に行くことにした。
この日の噴火警戒レベルは1だった。5段階あり、レベル5までいくと避難が必要となる。
博物館では、阿蘇をメインに、火山や地質、動植物や歴史・民俗などが展示されている。あまり時間はなかったのだが、ちょうど14時から15分間くらいの映画が上映されるとのことだったので、それだけ見ることにした。映画では、カルデラができる仕組みや阿蘇の様々な表情、文化について学ぶことができた。
映画を見た後は博物館を出て、展望所に行ってみた。
良い眺めである。中岳の噴煙も迫力がある。火口まで行けばもっと間近で見れるので、いずれまた行きたい。
今度は草原の中に入ってみた。暖かい季節にはこの辺に寝転んでも気持ちが良さそうだ。
近くの売店で"いきなり団子"を売っていた。大観峰へ行く時に乗っていたバスの運転手が"いきなり団子"が熊本の名物だということを教えてくれたので、見つけたら食べたいと思っていた。店のおばちゃんに「1つください」と言ったら、「これ食べて良いよ」と言ってタダでくれた。見てみると、おばちゃんは新しい団子を既に何個も焼いており、古いやつが1つだけ余っていたのでそれをくれるとのことだった。
おばちゃんにお礼を言って店を出た。団子というより大福というような感じで、中にはさつまいもが入っており美味しかった。名前の由来は、短時間で「いきなり」作れるという意味など諸説あるようだ。調べてみると、熊本県に隣接する福岡県大牟田市などではいきなり団子とほぼ同じ"いきなり饅頭"というお菓子があるそうだ。
この後は15:10に草千里を出るバスに乗り、15:38頃に阿蘇駅前に戻ってきた。草千里でバスに乗った時点で、行きに乗った時の乗客が乗っていて、おそらく中岳火口からの帰りだろう。帰りのバスも乗客は私とその人の2人のみだった。
平成28年熊本地震の発生直後から「ONE PIECE 熊本復興プロジェクト」が行われているそうだ。ONE PIECEの作者である尾田栄一郎氏が熊本出身であることからこのようなプロジェクトが行われている。そしてそのプロジェクトの一環として、熊本県内8市町村に麦わらの一味の仲間の像が設置され、そのうちの1つとして阿蘇市にウソップ像が設置された野田。
駅前の売店でソフトクリームを売っていたので、買って食べた。上から2番目の竹原牧場のやつを買った。美味しかった。
さて、この日はこれから鹿児島まで行く。まずは16:24阿蘇駅発のJR豊肥本線に乗り熊本駅まで戻り、熊本駅からJR鹿児島本線に乗り換え八代駅まで行き、八代駅から肥薩おれんじ鉄道に乗り換え鹿児島県の川内駅まで行き、川内駅からJR鹿児島本線に乗り換え鹿児島中央駅まで行く。
阿蘇から熊本に戻る途中、肥後大津駅で乗り換えがあった。この駅は"阿蘇くまもと空港"に近いことから"阿蘇くまもと空港駅"とも呼ばれている。
八代駅に到着したのは18:42。次の列車は19:30発なので50分くらい時間がある。
しかしやることもあまりないので駅で電車を待つことにした。
肥薩おれんじ鉄道は2020年7月の豪雨により一部区間運休となっていたが、11月1日より前線で運転再開となった。
八代妙見(みょうけん)祭↓
八代市の八代妙見祭は、福岡県北九州市の戸畑祇園大山笠行事と同様、ユネスコ無形文化遺産に「山・鉾・屋台行事」を構成する行事の1つとして登録されているようだ。
八代駅を19:30に発車し、22:32に川内駅に到着した。最初は2両編成だったが途中の出水駅で1両編成となり、先頭車両に乗っていた私は後ろの車両に移動するよう言われた。川内駅からはJR鹿児島本線に乗り換える。22:28発の電車である。
鹿児島中央駅には23:30に到着。イルミネーションが綺麗だった。ここからは今日のホテルへと向かうが、駅から歩いて30分ほどかかる。夜も遅かったので路面電車も終電が終わっており、歩くしかなかった。
1865(慶応元)年、薩摩藩の全19名が英国へと留学に出た。当時はまだ鎖国中だったため、密航留学であった。まず始めに留学生たちをおどろかせたのはオランダ人夫婦が別れの際に人前で平気でキスをしていたことだといい、他にもアイスクリーム、高層建築、汽車など、見るもの全てが驚きの連続であったそうだ。彼らは現地でそれぞれ活躍し、1867年パリ万博への薩摩藩の参加を決めたり倒幕運動への助力を得たりした。明治維新という大きな時代変化の中で帰国した留学生たちは、それぞれに大きな役割を担った。
天文館↓
歩いて天文館まできた。ホテルはこの近くだ。天文館は鹿児島市の中心市街地で、繁華街と歓楽街が隣接している。この時すでに24時くらいだったが、酔っ払ってハイになっている若者や夜の店のキャッチなどがたくさんいらっしゃった。コロナのこともあるのでなるべく人との距離を保ちつつホテルへと向かった。
今日のホテルはGOTOキャンペーンを利用して1泊2,204円だった。チェックインを済ませた後、コンビニで適当に食べ物を買い、ホテルの部屋で食べた。何を食べたかはあまりよく覚えていない。では、今回はここまでにしよう。翌日は鹿児島のシンボルともいえる"桜島"に行ってきたので、次の記事で紹介したい。
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