気まぐれ一人旅

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【四国&九州(19)】長崎市周辺を観光【眼鏡橋・出島・グラバー園・オランダ坂】

2020年12月11日(金)〜2020年12月29日(火)の約20日間にかけて主に四国と九州を旅してきた時の様子を記事にしている。

 

前回の記事はこちら↓

kimagure-hitoritabi.hatenablog.com

 

本日は2020年12月20日(日)。前日の夜、長崎駅近くのホテルに宿泊した私は、周辺の観光に出掛けた。

 

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泊まっていたホテル

 

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路面電車が走っていた。

 

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眼鏡橋

 

まずはホテルから歩いて10分ほどのところにある眼鏡橋に来た。眼鏡橋は、先日訪れた山口県錦帯橋と同様、日本三名橋の1つに数えられており、国の重要文化財にも指定されている。中島川に掛かり、日本最古の石造アーチ橋で、1634(寛永11)年に架設された。川面に映るその姿から古来より"めがね橋"の名で長崎の人たちに親しまれていたが、1882(明治15)年に正式に眼鏡橋命名された。今回は、川面に映る姿はうまく撮影できなかった。

 

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眼鏡橋を渡る

 

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眼鏡橋から見た中島川

 

中島川には眼鏡橋の他にも20以上の橋が架けられ、川に沿って散策できるようになっている。眼鏡橋と同様、橋のほとんどが石橋で、文化財に指定されているものもある。

 

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出島入口

 

眼鏡橋を見た後は、出島へと向かった。出島は中島川の河口にあり、眼鏡橋から出島の入り口まで歩いて10分ほどだった。出島には入口が3つあったが、私は東側の入口から入った。

 

出島↓

https://nagasakidejima.jp

 

出島は1636(寛永13)年キリストの布教を防ぐ目的で、市中に雑居していたポルトガル人を一か所に集め、住まわせるために幕府の命により造られた面積約15,000平方メートルの扇形をした人口の島である。1639(寛永16)年の第5次鎖国令によるポルトガル人退去後は一時無人の島となったが、1641(寛永18)年平戸のオランダ商館がここに移され、以来1859(安政6)年の開国までの218年間日本で唯一西洋に向けて開かれた窓となり、海外から新しい学術や文化が伝えられた。出島内にはオランダ商館員の住まいや倉庫などが建ち並び、家畜を飼い様々な植物が植えられていた。一方、築造当初のポルトガル人が入居していた頃の姿はよく分かっていないそうだ。幕末から明治にかけての港湾改良工事などで周囲は埋め立てられ海に浮かぶ扇形の原型は失われたが、日本の近代化に大きく貢献を果たした貴重な歴史的文化遺産であることから1922(大正11)年に国の史跡に指定され、現在は19世紀初頭の姿への復元整備が行われている。このため、調査を行い、おもに18世紀代から19世紀中期までの遺構を発掘している。

 

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19世紀初頭の出島を復元した街並み

 

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ミニ出島

 

ミニ出島は、河原慶賀が書いたといわれる「長崎出島之図」をもとに、1820年頃の出島を現した模型である。縮尺は1/15で、1976(昭和51)年に長崎市が作成した。長崎市は2000(平成12)年3月に完成した5棟(ヘトル部屋、料理部屋、二番蔵、一番蔵、一番船船頭部屋)を皮切りに、現地での建物復元に取り組んでいる。写真はミニ出島を横(実際の出島の西側にあたる方向)から撮ったものである。

 

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商館長の居住空間(カピタン部屋)

 

こちらは出島で一番豪華な商館長の居住空間を再現したもの。日本は最初にポルトガルとの貿易(南蛮貿易)を開始したため、商館長のポルトガル語である"カピタン"を用いて通称"カピタン部屋"とも呼ばれている。その後ポルトガルに代わりオランダが貿易の主役になったが、この呼び名は変わらなかった。

 

出島を見た後は、グラバー園へと向かった。

 

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稲佐山

 

途中の道で、昨日夜景を見た稲佐山が見えた。

 

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四海楼

 

四海楼

https://shikairou.com

 

四海楼は長崎名物の「ちゃんぽん」「皿うどん」発祥の店として知られる中華料理店である。今回は旅程の都合上ここでは食事できなかったが、また機会があればここでちゃんぽんや皿うどんを食べてみたい。

 

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大浦天主堂

 

グラバー園のすぐ近くには大浦天主堂もあった。

 

大浦天主堂

https://nagasaki-oura-church.jp

 

大浦天主堂世界遺産"長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産"の構成遺産の1つとして登録されている。江戸時代幕末の開国後1864(元治元年)年に竣工した、日本に現存する最古のキリスト教建造物である。1865(元治2)年3月17日、浦上の潜伏キリシタン大浦天主堂を訪ね、プティジャン神父に密かに信仰者であることを名乗った"信徒発見"は有名である。1945(昭和20)年8月9日の原爆投下では甚大な被害を受けたが、国の補助を受け修復工事が行われ、1952(昭和27)年6月30日、5ヶ月の歳月を費やして工事は完了した。

 

入場料が1,000円と少し高かったので今回は中には入らなかったが、また長崎に来ることがあれば中も見てみたい。中は博物館も併設されているようだ。

 

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グラバー園入口

 

グラバー園は、1859(安政6)年の長崎開港後に長崎に来住したイギリス人商人グラバー、リンガー、オルトの旧邸があった敷地に、長崎市内に残っていた歴史的建造物を移築し、野外博物館の状態を呈している。

 

グラバー園

http://www.glover-garden.jp

 

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"旧グラバー住宅"は世界遺産明治日本の産業革命遺産」の構成資産の1つとして登録されているが、残念ながら工事中だった。グラバー園に来たのはこれを見るためという目的が大きかったのだが、折角ここまで来たのでグラバー園には入場することにした。工事は2021年10月29日までを予定しているようだ。

 

 

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旧グラバー住宅(工事中)

 

こんな感じであった。旧グラバー住宅は大工棟梁の小山秀によって建築された、現存する日本最古の木造洋風建築物である。小山秀は他にも"三角西港(「明治日本の産業革命遺産」に登録)"や"大浦天主堂"も手掛けた。居住やビジネスの拠点としてだけでなく、文化交流の場所としても重要な役割を果たしていた。

 

旧グラバー住宅は残念ながら工事中だったが、旧オルト住宅旧リンガー住宅の他、旧ウォーカー住宅、旧三菱第2ドッグハウス、旧スチイル記念学校などの移築建造物を見ることができた。

 

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グラバー園からの見晴らしは良く、長崎港やその周辺を見渡すことができた。

 

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グラバー像

 

グラバーの像もあった。グラバーはスコットランドの実業家で、坂本龍馬をはじめとする志士を陰で支え、石炭・造船・鉄道などの様々な分野でも尽力した。旧グラバー住宅と同様、世界遺産明治日本の産業革命遺産」に登録されている高島炭鉱や小菅修船場の建設、事業化にも協力した。

 

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文明堂総本店 南山手店

 

文明堂総本店

https://bunmeido.ne.jp

 

グラバー園を出ると、文明堂があったのでカステラを買うことにした。

 

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買ったカステラは後日、熊本から鹿児島へ移動する際に電車の中で美味しくいただいた。

 

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オランダ坂

 

カステラを買った後は、オランダ坂へとやってきた。オランダ坂は、先日訪れた高知県はりまや橋に並ぶ「日本三大がっかり名所」の1つとして知られている。実際に行ってみると確かに何もないただの坂である。はりまや橋はがっかりするという前提で行けばそこまでがっかりという感じでもなかったが、オランダ坂に関してはその前提で行ってもがっかりという感じだった。ちなみになぜ「オランダ坂」なのかというと、かつて長崎の人々は出島に住むオランダ人の影響から開国後も東洋人以外の外国人を「オランダさん」と呼び、「オランダさんが通る坂」という意味で「オランダ坂」と呼んでいたそうだ。

 

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長崎新地中華街

 

長崎新地中華街

http://www.nagasaki-chinatown.com

 

オランダ坂の後は、長崎の中華街に来てみた。しかしまだ11時前ということもあってか、閉まっている店も多かった。

 

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JR長崎駅

 

中華街を見た後は長崎駅に戻ってきた。長崎駅は今後新幹線が通る関係で、大規模な工事が行われている。2022年秋頃に武雄温泉駅-長崎駅間の開業が予定されている。

 

では、今回はここまでにしよう。この後も引き続き長崎を観光するが、残りは次の記事で書こう。

 

次の記事はこちら↓

kimagure-hitoritabi.hatenablog.com

 

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