【四国&九州(20)】長崎名物のちゃんぽんとトルコライスを食す!【皇上皇・Bull's Kitchen】
2020年12月11日(金)〜2020年12月29日(火)の約20日間にかけて主に四国と九州を旅してきた時の様子を記事にしている。
前回の記事はこちら↓
kimagure-hitoritabi.hatenablog.com
本日は2020年12月20日(日)。午前中に長崎を観光していた私は、昼食を食べに長崎駅直結のアミュプラザへと向かった。
アミュプラザはJR九州が主要駅で展開する駅ビル型商業施設で、小倉駅、博多駅、長崎駅、鹿児島駅、宮崎駅、大分駅にある。また、熊本駅にも2021年4月23日にグランドオープン予定と発表されている。
5Fがレストラン街となっており、"皇上皇"という店で長崎ちゃんぽんが食べれるという情報を得ていたので、行ってみた。上の写真はまだ開店前だが、日曜日ということもあり結構並んでいた。しかし店内は広く座席数も多いので、開店と同時に全員中に入れたので開店後に並んで待つということはなかった。
長崎ちゃんぽんを注文。皿うどんと迷ったが、今回はちゃんぽんにした。見ての通り具がたくさん入っていてかなり豪華だった。イカやエビ、豚肉や野菜もたくさん入っており、牡蠣も入っていた。麺も中太でコシがあり、スープは最後まで熱々で満足だった。
さて、これだけでは終わらない。
次に入ったのはBull's Kitchen。
Bull's Kitchen↓
http://www.gyuemon.com/group/bullskitchen/index.html
こちらではちゃんぽんと同じく長崎名物のトルコライスをいただく。
トルコライスは豚カツ、ピラフ、スパゲティが1つの皿にのっているといったような料理で、今回私が食べたのは豚カツ、カレーピラフ、ナポリタン、サラダが1つの皿に乗っていた。豚カツにはデミグラスソースがかかっていた。トルコライスは1950年代に誕生したとされるが、名前の由来も含めて確かなことは分かっていないそうだ。まあ美味しければなんでも良いということで、豚カツにナポリタンにカレーピラフという美味しいものが3つ揃えばそれが不味いわけがなく、とても美味しくいただいた。直前にちゃんぽんも食べていたが、難なく平らげた。
ちゃんぽんとトルコライスを食べた後は、長崎駅12:34発のJR長崎本線に乗り、1つ隣の浦上駅で降りた。
浦上駅には12:36に着いた。この近くには"原爆資料館"や"平和公園"がある。
まずは長崎原爆資料館に来た。ここでは被曝の惨状をはじめ、原爆が投下されるに至った経過、および核兵器開発の歴史などの展示が行われていた。この日は日曜日だったのだが、なぜか小学生が課外学習?でたくさん来ており、先生らしき人もいた。それもあり、中はやや混雑していた。
併設されている長崎市平和会館でも展示が行われていた。
原爆資料館を見た後は、平和公園に来た。ここは1945(昭和20)年8月9日に落とされた原爆の落下中心地とのことだ。
爆心地から北東へ約500mの小高い丘にあった浦上天主堂は、東洋一の壮大さを誇る天主堂だったが、原爆により破壊され、わずかにまわりの壁を残すのみとなった。この側壁は、1959(昭和34)年に新しい天主堂建設のためこの地に移設されたものである。壁上の石像は、フランシスコ・ザビエルと使徒である。
原爆の中心地から500m歩いて浦上天主堂までやってきた。浦上は戦国時代の末期、1584年頃からキリシタンの村だった。その後徳川幕府のキリシタン弾圧を受け、1868(明治元)年には「旅」と称した浦上村民総配流が明治政府によって決定し、金沢以西の20藩22か所に浦上信徒約3,400人が配流された。1873(明治6)年にキリシタン弾圧は停止され帰村したが、信徒たちがなによりも欲しかったのは、「神の家」魂のよりどころである天主堂であった。
1895(明治28)年から建築に着手し、途中資金難から工事は途絶えがちだったが、1915(大正4)年3月18日に献堂式を挙げるにいたった。この日は大浦天主堂での日本の"信徒発見"50周年記念日の翌日である。さらに1925(大正14)年に正面の双塔が完成し、左側に小鐘(直径80cm、高さ66cm)、右側に大鐘(直径1m、高さ85m)が吊るされた。
原爆により倒壊消失したのち1959(昭和34)年に再建されたが、潤沢な資金なしに再建された天主堂は21年経つと補修の必要にせまられた。ヨハネ・パウロⅡ世の訪日が決まったことをきっかけに、内装も立派に整備して1980(昭和55)年10月4日完工した。
ヨハネ・パウロ二世はポーランド出身の第264代ローマ教皇で、1981年2月23日から26日まで日本を訪問した。ヨハネ・パウロ二世は最初の訪問国メキシコを皮切りに、日本訪問を含め2003年9月に最後の訪問国となったスロバキアに到るまで実に100カ国以上を訪問しており、「空飛ぶ教皇」などと呼ばれた。
これは"天主堂の見える丘"と呼ばれる場所から撮った写真である。確かによく見える。
浦上駅の近くには観覧車があった。
浦上駅を出てすぐのところに"国鉄原爆死没者慰霊之碑"があった。
さて、この日は佐賀県の南部、福岡県の南西部を経由して最終的には熊本まで行く。浦上駅を15:34に発車する長崎本線に乗り、途中、佐賀県の鳥栖駅で鹿児島本線に乗り換え、さらに福岡県の大牟田駅でも乗り換え、熊本駅に到着するのは20:24である。5時間近くの長旅となる。本当は長崎観光は午前中までに終わらせて、その後は佐賀県の吉野ヶ里公園や佐賀駅周辺も観光する予定だった。しかし前日になって長崎に見所が多いことに気づき、悩んだ末、長崎を優先して観光し、佐賀県はスルーすることにした。佐賀県の唐津などは先日観光したが、佐賀県南部の観光はまたの機会ということにしよう。
大牟田市はかつて石炭の鉱山がたくさんあり、街も栄えていたようだ。
さて、時は進んで熊本に到着。腹が減っていたため何をするよりもまず飯をということで、駅構内の"肥後よかもん市場"に来た。
肥後よかもん市場↓
熊本に来たし熊本ラーメンでも食べるかということで"とんこつラーメン一杢"という店に入った。ちなみに肥後よかもん市場にはもう1店舗熊本ラーメンの店があったが、そちらはすでにラストオーダーが終わっていた。
とんこつラーメンと黒チャーハンを注文。これは間違いない。ラーメンは博多ラーメンと同様に豚骨ラーメンだが、博多ラーメンと違ってニンニクが効いておりこれはこれで美味い。チャーハンも味がしっかりついていて、量もあってお腹いっぱいになった。
さて、夕食を食べたら今日のホテルへと向かう。
ホテル法華(ほっけ)クラブ熊本↓
https://www.hokke.co.jp/kumamoto/
駅からホテルまで歩くと20分くらいかかるので、路面電車を使った。"熊本駅前"から乗って、"慶徳校前"という駅で降りた。"慶徳校前"からホテルまでは歩いてすぐだ。
チェックインを済ませると、再び外に出て周辺を歩いた。ちなみにGOTOキャンペーンを利用して1泊2,470円だった。
サクラマチ熊本↓
https://sakuramachi-kumamoto.jp
実は熊本駅からホテルまでの道中はほとんど何もなく、全く栄えていないという印象だったのだが、しばらく歩くと急に明るくなった。"サクラマチ熊本"は商業施設で、TOHOシネマズやバスターミナル、熊本城ホール、さらにはホテルや住宅、オフィスビルなども併設されているそうだ。
道路を挟んだ向かい側には"サンロード新市街"という商店街らしきものもあった。どうやらこの辺りが熊本の中心街のようだ。
そのまま熊本城の近くまで歩いた。熊本城がよく見えるポイントがないかなと色々歩き回ったが、あまりよく見えるところはなかった。
熊本城↓
https://castle.kumamoto-guide.jp
熊本城は、1607(慶長12)年、加藤清正が完成させた城である。別名「銀杏城」とも呼ばれるが、これは天守閣前広場にある大イチョウに由来する。しかしもともとあったイチョウは西南戦争直前に天守・本丸御殿が消失した際に焼けてしまい(原因はいまだ特定されていない)、現在のイチョウは燃えた後から生えてきた新しい芽が成長したものである。西南戦争は1877(明治10)年2月におきた戦争で、熊本城は50日あまりにも及ぶ籠城戦の舞台となった。
熊本城といえば、武者返しと呼ばれる石垣が有名である。また、2016(平成28)年の熊本地震で被災し、現在でも復旧作業が進められている。
ホテルに戻る途中で熊本城の絶好の撮影ポイントを発見した。ここは銀座通りの近くで、"銀座通り歩道橋"という歩道橋から撮ったものである。
先ほどは気付かなかったが、"サクラマチ熊本"の近くでも熊本城がよく見える場所があった。
ホテルに戻った。大浴場があったようなのだが、いくら思い出そうとしても入った記憶がない。もしかするとかなり疲れていたのと翌日も朝早いので部屋のシャワーだけで済ませてしまったのかもしれない。
では、今回はここまでにしよう。翌日は熊本のシンボル阿蘇山に行ってきたので、次の記事で紹介しよう。
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