【四国&九州(13)】山口県南部を観光【錦帯橋・岩国城・防府天満宮】
2020年12月11日(金)〜2020年12月29日(火)の約20日間にかけて主に四国と九州を旅してきた時の様子を記事にしている。
前回の記事はこちら↓
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本日は2020年12月17日(木)。前日の夜に広島駅近くのホテルに宿泊した私は、朝8時ごろにチェックアウトを済ませ広島駅へと向かった。
ホテルニューよりしろというホテルに泊まっていた。
昨日このekieの中にあるお好み焼きの店に行った。
広島駅の南口は工事をしていた。地上20階、地下1階の新駅ビルができるらしい。新駅ビルには商業施設やシネコン、ホテルが入るとのこと。2025年春に開業と書いてあった。
さて、今日は主に山口県南部を観光する。まずは08:35発の山陽本線に乗り、岩国駅へと向かった。
岩国駅に到着したのは09:29だった。この後は日本三名橋の1つとしても知られる錦帯橋へと向かう。錦帯橋へは岩国駅からバスで行くこともできるが、JR岩徳線で岩国駅から2駅隣の川西駅から歩いて20分弱でも行けるので、電車で行くことにした。09:53発の電車に乗り川西駅へと向かった。
岩国駅⇄川西駅間はJR岩徳線と錦川鉄道・錦川清流線で駅が被っており、私が乗ったのは錦川鉄道の車両だったようだ。錦川清流線は錦川沿いを走っており、とことこトレインというのもあって面白そうだなと思った。ちなみに錦帯橋が架かっているのも錦川だ。
川西駅に到着したのは10:02。駅周辺は特に何もなかったが、雪がうっすらと積もっていた。そういえば、確か宇和島にいた時も少し雪が降っていた。
錦帯橋へ向かう途中の道から錦帯橋と岩国城が見えた。岩国城にもこのあと行く。
錦帯橋に到着して、実際に渡ってみる。橋を渡るには料金310円を支払う必要がある。岩国城とロープウェイのセット券もあり、私はそちらを購入した。セット券は970円だった。
遠くからだと分からなかったが、アーチ状の部分は階段になっていた。
階段の日陰の部分は雪が残っていた。
錦帯橋を渡ると、公園があった。吉香(きっこう)公園というらしい。
この後は岩国城へと向かう。岩国城は横山という山の山頂にあり、ロープウェイで行くことができる。公園を抜けるとロープウェイ乗り場がある。
ロープウェイは15分間隔で運行しており、10:45発のロープウェイに乗った。
岩国城に到着。ロープウェイを降りてからも岩国城まで10分ほど歩いた。
熊の目撃情報があったようだ。しかし、いつの情報なのかは分からない。
見ての通り、錦帯橋は5連の木造アーチとなっている。なかなか立派で、日本三名橋の1つとなるだけある。岩国城では錦帯橋の模型、写真、武具や甲冑(かっちゅう)などが展示されていたが、時間がなかったので天守閣からの景色以外はあまり時間をかけて見ることはしなかった。
岩国城を降りたら、再びロープウェイに乗って山を降りた。
山頂のロープウェイ乗り場からも錦帯橋が見えた。
ロープウェイの中からも錦帯橋が見えた。
ロープウェイを降りると、公園でれんこんコロッケを売っていたので買ってみた。
岩国はれんこんの産地としても知られている。一般のれんこんは穴が8つだが、岩国れんこんは穴が9つあるらしい。コロッケの中には思っていたよりれんこんが沢山入っており、シャキシャキして美味しかった。
橋を下からも見てみた。どこから見ても立派である。
さて、錦帯橋を見た後は12:22川西駅発のJR岩徳線・岩国行の電車に乗り、途中岩国駅でJR山陽本線に乗り換え防府駅へと向かった。
防府駅には14:24に到着し、駅から歩いて15分ほどのところにある防府天満宮へと向かった。
菅原道真を祭神とする天神信仰の神社である天満宮は全国に1万2000社あると言われている。諸説あるが、一般的には総本社の北野天満宮(京都府京都市)、太宰府天満宮(福岡県太宰府市)、そして日本最古の天満宮である、ここ山口県防府市の防府天満宮(904(延喜4)年に創建)の3社が一般的には日本三大天神とされている。ちなみに"天神"とは"天満大自在天神"のことで、これは没後の菅原道真を神格化した呼称、あるいは神格化された菅原道真を祀る神社のことをいう。調べたところによると、"天満宮"と"天神"はほぼ同じ意味と考えて良いようだ。
防府天満宮を見た後は、この日まだ錦帯橋でれんこんコロッケを食べた以外何も食べていなかったので、何か食べることにした。
うめてらす↓
近くにうめてらすという施設があった。中にはお土産を売っていたり、カフェが入っていたりした。ちなみに梅は防府市の花木であり、菅原道真にもなじみが深い。"うめてらす"という名称は一般応募の中から採用されたらしい。
他にも食事できる店を発見した。日替わりランチの天神定食(680円)が気になったので、ここで食べることにした。店の中に入り、看板を見るとすでにランチの時間は終わっているようだったが、「ランチはもう終わりですか?」と聞くと「大丈夫ですよ」と言ってくれたので、日替わりランチを頼んだ。
見た瞬間、これは当たりだと思った。これだけの品数で680円はかなり安い。しかもご飯はおかわり自由。久々にバランスの良い食事にありつけた。もちろん味も美味しく、ご飯は1杯おかわりした。何気なく入った店で当たりを引くと何だか嬉しくなった。
では、今回はここまでにしよう。次の記事では主に博多での様子を書きたい。
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【四国&九州(12)】広島県にあるうさぎの島に行ってきた【大久野島】
2020年12月11日(金)〜2020年12月29日(火)の約20日間にかけて主に四国と九州を旅してきた時の様子を記事にしている。
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本日は2020年12月16日(水)。尾道を観光してきた私は、12:51発の山陽本線に乗り、忠海駅へと向かった。
途中、三原駅で山陽本線から呉線への乗り換えがあった。乗り換え時間は4分しかなかったので、三原駅周辺を見る時間はなかった。
忠海駅に到着したのは13:33だった。この駅から歩いて10分弱のところにある忠海港から大久野島へのフェリーが出ている。大久野島は「うさぎの島」「毒ガスの島」として知られている。
大久野島に生息するうさぎは全てアナウサギである。1971年に地元で飼われていた8羽が放たれて野生化し、繁殖したという説が有力とのこと。うさぎの数は大久野島ビジターセンターによると2007年の調査では約300羽であったが2013年には約700羽となり、2018年には900羽を超えている。しかし最近ではコロナの関係で観光客が減り、その影響でうさぎの数も減っているという話も聞く。余談だが、アナウサギは"世界の侵略的外来種ワースト100"に指定されているそうだ。
大久野島が「毒ガスの島」として知られているのは、1929年に日本陸軍の「毒ガス工場」が作られたことによる。しかし毒ガスは国際条約で禁止されていたため、大久野島は軍の機密により地図から消されてしまった。このことから、大久野島は「地図から消された島」などと呼ばれることもある。1945年の敗戦時に証拠を残さないため毒ガスは全て処理された。長い間この事実は知られていなかったが、日本の化学戦実施に関する資料が見つけられ1994年に明らかにされた。島には毒ガス貯蔵庫などいくつかの遺跡が残され、毒ガス資料館もある。ちなみに戦時中も毒ガス実験用にうさぎが飼われていたが、戦後の毒ガス関連処理の際に全羽殺処分されたため当時のうさぎの子孫は存在しない。
近くには黒滝山という山もあるようだ。この山の山頂からも大久野島が一望できるらしい。
フェリーの待合室。ここでフェリーのチケットやうさぎのエサも購入できる。
うさぎのエサは200円だった。大久野島ではエサを売っていないので、もしエサをあげたいなら事前に購入しておく必要がある。
フェリーは大久野島へ行った後、大三(おおみ)島へも行くようだ。大三島は、愛媛から広島へバスでしまなみ海道を通って移動した際にも通った。
フェリーの発車時刻は14:05だった。乗客は思いの外多かった。大久野島までの乗船時間はおよそ15分ほどである。
14:19頃に大久野島に到着した。
大久野島に上陸すると、早速うさぎを発見した。では、大久野島で撮ってきた写真をいくつか紹介しよう。
大久野島のうさぎは基本的には愛想がないように思えた。エサを貰えると分かると寄ってくるが、それ以外は知らん顔で、触ろうとすると離れていくうさぎが多かった。コロナの影響で人からエサをもらえないので、うさぎの数が減っているという話も聞いたりしたが、うさぎは至る所で見ることができた。といっても、コロナ前にこの島に来たことはないので、コロナ前後でうさぎの数が減ったかどうかは私には判断はできない。
灯台もあった。1893(明治26)年6月22日に着工、1958(昭和33)年7月に自動化(無人運用)と書いてあった。
大久野島から見る海も綺麗だった。
大久野島には2時間弱滞在した。本当は毒ガス関連の遺跡や資料館も見たかったが、うさぎに夢中になってしまいほとんど見ることができなかった。次に来るときには毒ガス関連施設にも注目してみたい。16:06大久野島桟橋発のフェリーに乗り、16:20に忠海港へと戻った。
忠海駅に戻ると、近くにファミリーマートがあった。中に入ってみると、ここでもうさぎのエサが売っていた。忠海港のフェリー待合所よりもこっちの方が安かったので、次に来る時はここで購入しよう。
この後は16:53発のJR呉線に乗って広島市方面へと向かう。
途中、呉駅で下車した。呉駅に到着したのは18:25で、この時には既に辺りは暗くなっていた。呉は戦艦「大和」を製造し、日本一の海軍工廠の町として栄えた。駅近くの「大和ミュージアム」ではその歴史に触れることができる。今回は夜遅かったので駅周辺の様子を見るだけにとどまったが、また改めて呉にはゆっくり滞在してみたい。
この後は18:47発の電車で広島駅へと向かい、19:33に広島駅へと到着した。駅に着いたら、まずはホテルにチェックインした。この日に泊まったのは"ホテルニューよりしろ"というホテルだ。
ホテルニューよりしろ↓
https://new-yorishiro.hotels-hiroshima.com/ja/
ホテルまでは、JR広島駅新幹線口から歩いて5分ほどだった。GOTOキャンペーンを適用して、1泊2,340円で宿泊した。
今回のホテルの部屋は和室だった。こういう雰囲気の部屋は割りと好きだ。
ホテルのフロントにはバンやヤクルト、他にもバナナやチョコバーのようなものが置いてあり、ご自由にお取りくださいとのことだった。なかなかのサービスだ。
さて、チェックインした後は、夕食を食べに外に出た。
広島駅の新幹線口にある商業施設ekieにいっちゃんというお好み焼きの店があったので、そこで食事した。
ekie広島駅↓
GOTOキャンペーンのクーオンもあったので、奮発して一番高い特製そば(1,500円)を注文した。かなりボリュームがあり満足だった。広島のお好み焼きはそばかうどんが入っている。どちらか好きな方を選べるが、私は今回はそばを選択した。広島に来た際は必ずお好み焼きは食べているが、大体はそばを食べる。しかし前にうどん入りを食べた時、うどんもありだなと思った。
お好み焼きを食べた後は、ホテルに戻りゆっくりと休んだ。では、今回の記事はここまでにしよう。翌日は山口県へと移動したので、その時の様子を次の記事で書きたい。
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【四国&九州(11)】しまなみ海道を通って愛媛から広島へ!【しまなみライナー】
2020年12月11日(金)〜2020年12月29日(火)の約20日間にかけて主に四国と九州を旅してきた時の様子を記事にしている。
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本日は2020年12月16日(水)。前日にJR松山駅近くの泊まった私は、06:35発の電車に乗り今治へと向かう。
まだ朝早かったので、辺りは暗かった。
今のところ四国には新幹線は通ってないが、新幹線を通そうという思惑はあるんだとかないんだとか。
駅中のコンビニで買ったボンジュース。美味しかった。
今治駅に到着したのは08:05。この後は08:25発のバスで広島県福山市に向かう。
バスのりばは駅東口からすぐだった。
近くには今治城があるようだ。今治城は、関ヶ原の戦いでの功績により伊予半国20万石を領した藤堂高虎が瀬戸内海に面した海岸に築いた大規模な平城で、日本三大水城の1つとされている。1602(慶長7)年に築城を始め、1608(慶長13年)に完成したと推測されている。明治維新後に建造物のほとんどが取り壊されたが、1953(昭和28)年に県指定史跡となり、1980(昭和55)年以降、天守をはじめとする櫓、門などの再建が進み現在の姿となった。今回は時間がなくて行くことができなかったが、また機会があったら行ってみたい。
今治はタオルと造船の町としても知られている。日の出マークの付いた"今治タオル"は有名で、日本国内最大手の造船メーカーである"今治造船"の本社も今治にある。
今治造船株式会社↓
バスは定刻通りに到着した。本日はしまなみライナーに乗る。
バスの乗車率は1/4以下だった。
バスからの眺めはなかなか良かった。途中、瀬戸内海にある大島、伯方(はかた)島、大三島、生口(いくち)島、因島(いんのしま)を通った。
福山駅に到着したのは09:54だった。1時間半ほどのバスの旅だったが、瀬戸内海の良い景色を眺めていたらあっという間に時間が過ぎていった。
駅のすぐ近くに福山城があったので行ってみた。
といっても今は工事中で天守閣や博物館に入ることはできなかった。
工事の関係で、これ以上中に入ることはできなかった。福山城は1615(慶長20)年の一国一城令発布後の1622(元和8)年に完成した城である。備後(びんご)福山藩の藩庁かつ藩主の居城であった。1945(昭和20)年の福山大空襲で建造物のほとんどが焼失し、現在の天守などは1966(昭和41)年に市制50周年記念事業として鉄筋コンクリート構造で復興されたものである。天守内部は福山市立博物館として利用されている。
福山城を見た後は、駅前にあったお店で福山ラーメンを食べた。
あっさりとしていて美味しかった。値段も560円とお手頃だった。
さて、福山ラーメンを食べた後は11:14発のJR山陽本線で尾道駅へと向かった。
尾道駅へと到着したのは11:33だった。尾道での滞在予定時間は1時間20分ほどで、あまりゆっくりはできないが駅周辺を散策することにした。
尾道は瀬戸内海に面していて、駅の近くから海を見ることができた。船も何隻か行き交っていた。
ONOMICHI U2は尾道駅から歩いて5分ほどのところにある、レストランなどを備える複合施設。中には入らなかったが、規模はあまり大きくはなさそうだった。
残りの時間は駅近くにあった商店街をブラブラとしていた。商店街の規模は結構大きかった。
尾道本通り商店街↓
商店街にあった日乃出食堂という店で尾道ラーメンを食べた。
背脂多めのラーメンでとても美味しかったが、少し前に福山でもラーメンを食べていたのでかなりお腹が一杯になった。
林芙美子の像があった。この人が誰なのか知らなかったのだが、調べてみると尾道の高校を卒業し、その後様々な職業を経験した後小説家となり、「放浪記」という小説がベストセラーとなり人気となったそうだ。
では、今回の記事はここまでにしよう。この後は広島県を西の方に移動していき、うさぎの島として知られる大久野島などに行ってきたので次回の記事でその時の様子を紹介したい。
次の記事はこちら↓
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【四国&九州(10)】愛媛県松山市を観光【道後温泉・松山城】
2020年12月11日(金)〜2020年12月29日(火)の約20日間にかけて主に四国と九州を旅してきた時の様子を記事にしている。
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本日は2020年12月15日(火)。前日の夜に愛媛県の宇和島駅近くのホテルに泊まった私は、08:51発のJR予讃線に乗り、伊予長浜駅方面へと向かった。伊予長浜駅近くには、猫の島として知られている青島へと向かうフェリーが出ている。
泊まっていたホテル。
ホテルのフロントにみかんが置いてあったので、ホテルから駅まで歩きながら食べた。
宇和島駅周辺は南国風の木が植えられていた。何という名前の木なのかは分からない。
宇和島では、宇和島駅近くの闘牛場で年に数回闘牛の大会が行われている。
宇和島の闘牛↓
日本の闘牛は、北は岩手県の久慈市から、南は沖縄県の今帰仁村など10ヶ所以上で行われている。宇和島の闘牛場へはJR宇和島駅から歩いて30分、大会当日は無料バスも運行しているようだ。
途中、八幡浜駅で乗り換えがあった。09:52にここに着いて、次の列車は11:26発なので1時間半くらい時間がある。
八幡浜ちゃんぽんというのが名物らしい。あとで時間があったら食べてみよう。とりあえず、駅から歩いて30分弱のところに八幡浜港があるので、少し遠いが時間もあるので行ってみることにした。
八幡浜港には市場や食堂、カフェなどもあるようだった。
フェリーも出ているようだった。調べてみると、大分の別府や臼杵(うすき)へのフェリーが運行しているようだ。
八幡浜港から八幡浜駅に戻る途中で、諏訪崎への看板があった。宇和海に向かって延びる全長3kmほどの半島で、「日本の森林浴の森100選」などに指定されている。
八幡浜駅からすぐのところに八幡浜ちゃんぽんを食べられる店があったので、ここで食べることにした。
麺はストレートでモチっとしていた。何より、写真を見ての通り具沢山なので良かった。
ちゃんぽんを食べた後は、11:26発の電車に乗った。
途中、JR伊予大洲駅で30分くらい停車時間があったので降りてみた。この駅は「愛ある伊予灘線」の愛称が付けられた伊予長浜経由の旧線と内子線経由の新線の分岐駅である。
伊予大洲駅のホームから大洲城も見ることができた。大洲城の歴史は鎌倉時代末期、伊予宇都宮氏が築いた地蔵ヶ岳城に始まると言われている。その後、江戸時代初期、藤堂高虎らによって大規模な修築がなされ、大洲藩の政治と経済の中心地として城下町は繁栄していった。明治時代以降は城内のほとんどの建造物は取り壊され、現在のものは復元されたものとなっている。
その後再び電車に乗り、伊予長浜駅に到着したのは12:44であった。
伊予長浜駅に到着したのは12:44。この日はここからフェリーで猫の島として知られている青島に行く予定だった。フェリーの出発時間は14:30とまだ時間はあったが、駅から近いのでとりあえずフェリー乗り場へ行ってみることにした。
。。。しかし、フェリー乗り場へと行ってみると、終日欠航と書いてあった。この日の天気は雨は降っていなかったのだが、少し風が強かったので、おそらくそれが原因だろう。青島へのフェリーについては、運行状況をネット等で確認することができず(今になって思えば電話で確認するという手があったかもしれない)、実際に行ってみないとフェリーが運行しているかどうかを確認できないというのが難点である。結構楽しみにしていたのだが、仕方がない。またの機会に訪れることにしよう。
さて、この日の最終目的地は松山駅である。青島に行けなくなったので予定より早く松山に行こうと思って電車の時間を調べたのだが、次の松山行きの電車は16:04発と、まだ3時間くらい時間がある。
駅周辺を見渡しても特に何かがありそうなわけでもなく、時間を潰すのに苦労しそうだったが、近くに国指定重要文化財の"長浜大橋"というのがあるようなので、行ってみることにした。
長浜大橋は肱(ひじ)川に架かる現役で動く日本最古の道路可動橋(バスキュール式鉄鋼開閉橋)。地元では「赤橋」の愛称で親しまれている。現在は船の往来がなく開閉の必要性は無くなったが、毎週日曜日に観光向けと定期点検を兼ねて開閉が行われているそうだ。この日は火曜日だったので開閉を見ることはできなかったが、何か工事をしているようだった。
駅の近くに戻ってみると、展望公園への看板が見えた。Googleマップで調べてみると、駅から歩いて40分ほどのところに"肱川あらし展望公園"というのがあるようだ。ずっと上り坂で少々疲れそうだったが、時間もあるし折角なので行ってみることにした。
到着した。写真の左に見えるのが展望台である。
展望台から海の方向を眺めると、結構木が生えていて、それが邪魔していて期待していたほどの絶景ではなかった。この時は冬だったので葉っぱがなかったが、夏などで葉っぱが生えている時期だったらこの時以上に海の景色は見え難かったであろう。2枚目の写真手前に見えるのは長浜大橋で、奥に見えるのは新長浜大橋である。3枚目に写っているのはおそらく今回の旅で行く予定だった青島である。
ちなみに肱川沿いでは10月頃から3月頃まで晴れた日の朝には上流の大洲盆地の冷気が霧を伴って肱川沿いを一気に流れ出すらしく、その現象が"肱川あらし"と呼ばれている。展望公園からはその絶景を眺めることができるそうだ。この時はもうすでに正午を回っていたので肱川あらしは見ることはできなかった。
展望台を見た後は駅まで戻り、まだ少し時間があったが近くのコンビニに行ったりして時間を潰した。16:04発の電車に乗り、JR松山駅に着いたのは17:11だった。
余談だが、伊予長浜駅から3駅先の下灘駅は"一度は降りてみたい駅"といわれる無人駅で、かつては"日本一海に近い駅"と呼ばれ撮影スポットとしても人気が高い。私は今回は降りなかったが、下灘駅から観光客と思われる人がたくさん乗ってきた。
安岡蒲鉾↓
駅の構内にじゃこ天の店があった。じゃこ天は昨日宇和島でも食べたので、今回はじゃこかつを買って食べた。
結構冷めていて、正直なところあまり美味しくはなかった。
この後は道後温泉に行く予定なのだが、その前にホテルにチェックインすることにした。
https://www.apahotel.com/hotel/shikoku/matsuyamajyo-nishi/
今日はアパホテルに宿泊。GOTOキャンペーンを利用して1泊2,600円で宿泊した。JR松山駅からホテルまでは歩いて15分程度で、市電で行くこともできたが、交通費節約のため歩いて行った。
チェックインを済ませたら、松山の市電で道後温泉へと向かう。アパホテルの最寄駅は本町三丁目という駅で、乗り換えアプリ検索すると"本町三丁目→本町六丁目→上一万→道後温泉"と2回乗り換えるルートが出てきたので、そのルートで行くことにした。
松山の市電は1回乗ると運賃170円。さらに電車を降りるときに乗り換え券というのを貰えば、次の電車はその乗り換え券を見せれば無料で乗ることができる。ということまではネットの情報で何となく知っていた。
なので本町三丁目から市電に乗って本町六丁目で降りるときに運転手に「乗り換え券ください」と言った。すると「どこまで行きますか?」と聞かれたので「道後温泉です」と答えると、「えっ???」という反応をされた。少し戸惑ったが、話を聞いてみると、乗り換え券が使えるのは1回のみらしく、2回乗り換える場合は3回目に乗る電車ではまた170円払わなければならないらしい。さらに、本町三丁目から道後温泉までは"本町三丁目→南堀端→道後温泉"というルートでも行くことができ、このルートなら乗り換え1回で170円で行けるので本来はこのルートで行くのが正解とのことだった。しかし、乗り換えアプリだとそのような事情まで配慮されないためこのようなことはたまに起こるようだ。
とりあえず運転手から「次に乗る電車で事情を説明してみてください。もしかしたら、次の電車でも乗り換え券をもらえるかもしれません。」と言われた。いや何とも親切に色々と気遣っていただき感謝しかない。お礼を言って電車を降り、次の電車に乗った。上一万で電車を降りるときに運転手に事情を説明すると、「次からは"本町三丁目→南堀端→道後温泉"のルートで行ってください」と路線図を見ながら丁寧に説明していただき、乗り換え券も渡してくれた。こちらの運転手もとても親切に対応していただいたので、感謝の言葉を述べて電車を降り、次の電車に乗り換え最終目的地である道後温泉まで結局170円のみで行くことができた。
さて、話が長くなってしまったが、道後温泉駅に到着した。
駅前には坊っちゃん列車の復元機があった。坊っちゃん列車は伊予鉄道に在籍したSL、及びそのSLが牽引していた列車で、夏目漱石の「坊っちゃん」に登場してから坊っちゃん列車と呼ばれるようになった。1888年から78年間で一旦役割を果たしたが、休止期を経て2001年に復元され運行を開始した。しかし蒸気機関車に付きもののばい煙による公害を発生させてしまう恐れがあったため、復元された坊っちゃん列車はディーゼル式にアレンジされている。
駅からすぐのところにハイカラ通りへの入口がある。この商店街を抜けると道後温泉の本館がある。
道後温泉↓
夏目漱石の坊っちゃんでも有名になった道後温泉は、3000年の歴史を誇る日本最古の温泉で、日本三古泉の1つである。道後温泉には"本館・飛鳥乃湯泉・椿の湯"の3つの施設がある。今回は飛鳥乃湯泉に行った。
温泉に入った後は、商店街を散策した。といっても時間も遅かったのですでに閉店している店も多かった。ここで夕食を食べようかとも思ったが、松山市街地に戻ってから食べることにした。
商店街のお土産屋で一六タルトを買ってきた。この旅行で四国に来て以来、色々なところで一六タルトの看板を見ていたのでずっと気になっていた。調べてみるとどうやら四国の名菓のようで、明日の朝には四国を出てしまうので買ってみた。一六タルトはこの日以降、移動中などに少しずつ食べていった。ロールケーキのような感じで美味しかった。
さて、道後温泉の後は再び市電に乗って大街道駅で降り、松山市街地に戻ってきた。この辺で何か良さそうな店があれば食事をしようと思ったが、時間が遅かったのとコロナの影響で時短営業をしている店も多かったので、結局コンビニで買って食べることにした。
大街道の近くには銀天街という商店街もあった。
松山市駅は伊予鉄道の駅で、JRの松山駅周辺よりもこちらの方が栄えている。写真では見えないが、奥には観覧車もある。
ホテルの近くから松山城も見えた。
では、今回の記事はここまでにしよう。翌日はしまなみ街道と通ってバスで広島まで行ったので、その時の様子を記事にしたい。
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【四国&九州(9)】宇和島で名物の鯛めしを食す!【ほづみ亭・宇和島城】
2020年12月11日(金)〜2020年12月29日(火)の約20日間にかけて主に四国と九州を旅してきた時の様子を記事にしている。
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本日は2020年12月14日(月)。足摺岬の観光を終えた私は、15:32発の土佐くろしお鉄道・中村線に乗って中村駅からまずは若井駅へと向かった。本日の最終目的地は愛媛県の宇和島駅である。
若井駅に到着したのは16:24。この駅で土佐くろしお鉄道からJRに乗り換える。次の列車の発車時刻は17:04で、40分も時間があったので周辺を散策した。
近くに公園があった。小さな公園だったが、四万十川を見ることができた。
その後17:04発のJR予土線に乗り、宇和島駅へと到着したのは19:15であった。駅に着くと、まずは宇和島名物の鯛めしを食べに"ほづみ亭"という店に向かった。
ほづみ亭↓
前からずっと食べてみたいと思っていた、宇和島名物の鯛めしを注文。愛媛名物であるじゃこ天も注文した。
鯛めしは漬物とスープも付いてきた。まずはご飯を茶碗にお好みの量で盛り、そこに鯛の刺身や卵、醤油などを混ぜたものをかけて食べるという食べ方。ご飯の量は結構多かったが、おかわりも自由とのことだった。
少し見た目が汚いかもしれないが、こんな感じで食べる。卵かけご飯に鯛が加わったようなイメージだが、これがめちゃくちゃ美味しかった。ご飯も1回おかわりして、お腹もいっぱいになった。じゃこ天は普通だったが、結構分厚くて食べ応えがあった。お酒との相性は良さそうだ。
さて、鯛めしでお腹いっぱいになった後は宇和島城の周辺を歩いた。
宇和島城が見れることを期待したが、あまりよく見える場所はなかった。宇和島城は江戸時代には宇和島藩の藩庁となり、現存十二天守の1つでもある。
宇和島城を見た後はホテルにチェックインした。この日に泊まったのは"ホテルイシバシ"というホテルだ。
ホテルイシバシ↓
宇和島駅から徒歩10分ほどのところにあるホテルで、GOTOキャンペーンを利用して1泊2,860円で泊まった。
フロントにみかんが置いてあって"ご自由にお取りください"と書いてあったので、1つ貰って部屋で食べた。そういえば、みかんを丸ごと食べたのなんていつ以来だろうなどと思いながら食べたが、甘くて美味しかった。
では、今回はここまでにしよう。翌日は松山方面へと向かうので、次の記事で書きたいと思う。
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【四国&九州(8)】四国最南端!足摺岬を観光
2020年12月11日(金)〜2020年12月29日(火)の約20日間にかけて主に四国と九州を旅してきた時の様子を記事にしている。
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本日は2020年12月14日(月)。前日に高知駅近くのホテルに宿泊した私は、四国最南端の地である足摺岬へと向かうために、05:39発の土讃線に乗ってまずは窪川駅へと向かった。
四国ではアンパンマン列車なるものが走っているらしい。
アンパンマン列車↓
https://www.jr-eki.com/aptrain/index.html
途中、海沿いを通った。写真は安和(あわ)駅近くで撮影した。
窪川駅に到着したのは07:59だ。ここでJRから土佐くろしお鉄道に乗り換える。
JRの窪川駅から土佐くろしお鉄道の窪川駅まではすぐのところにある。次に出る08:27発の中村線の列車に乗り、終点の中村駅へと向かう。
今回はくろしお1日フリーきっぷを購入した。この日は今乗っている"窪川駅→中村駅"と、足摺岬を観光した後に"中村駅→若井駅"と土佐くろしお鉄道に2回乗る。普通に乗ると運賃が合計で2,100円になるので、2,080円のフリーきっぷを購入した方が20円お得になる。土佐くろしお鉄道の路線は中村線(窪川駅〜中村駅)、宿毛線(中村駅〜宿毛駅)、ごめん・なはり線(後免駅〜奈半利駅)の3つがあるが、このフリーきっぷは中村線と宿毛線の2つの路線で使えるようだ。しかし今回の旅で私が利用するのは中村線の1路線のみである。
窪川駅を出てすぐ、四万十川の近くを通った。四万十川は四国最長の川で日本三大清流の1つと呼ばれ、名水百選にも選ばれている。しかし、政府による科学的な水質調査では全国の調査対象の河川の中で際立って水質が良いわけでもないらしい。
途中、土佐湾沿いも通った。とても良い眺めであった。
中村駅へ到着したのは09:24だった。ここから1時間半くらいバスに乗って、ようやく足摺岬へと到着できる。
次のバスの発車時刻は10:14だ。まだ少し時間があるので駅周辺をブラブラとして過ごす。
駅の売店で売っていた駄菓子を買ってみた。グミみたいなやつかと思ったが食べてみると飴だった。甘くて美味しかった。
バスに乗ると、再び四万十川沿いを通った。
足摺岬に近づいてきた頃、バスの中から小さな島が見えた。調べてみると、これは唐船島というそうだ。昭和21(1946)年に発生した南海地震による清水地域の地盤隆起を島裾に残っていた貝殻等の付着跡と地震後の汀線(海面と陸地との境の線)によって約80cmと決定可能とした貴重な地質学の資料とされ、国指定天然記念物に指定されているようだ。
さて、足摺岬に到着したのは11:59だ。右奥に見えるのはジョン・万次郎(中浜万次郎)の像だ。
中浜万次郎は足摺岬にほど近い中ノ浜に生まれた。14才のとき出漁中に嵐にあい、無人島・鳥島に流された。半年後、運よく通りかかったアメリカの捕鯨船に救助された。船長は万次郎の人柄を気に入りアメリカへ連れて帰り、船長の生地フェアへイブンで3年間正規の学校教育を授けた。万次郎は期せずしてアメリカにおける日本人留学生第一号となった。彼は10年におよぶ国外生活中John Mungと呼ばれ英語、航海術、測量術、捕鯨術等を習得した。1851年2月、万次郎24才の時に日本に帰り、鎖国から開国に揺らぐ激動期の日本歴史の影で大きな役割を果たした。明治文化の開花に著しい貢献を果たした1人である。土佐清水市は1987年12月、万次郎の縁でフェアへイブンと姉妹都市を結び友好交流を深めている。
猫がいた。
とても良い眺めである。高知駅を出てからここまで6時間以上かかったが、この景色を見た瞬間来て良かったと思えた。
金剛福寺↓
https://88shikokuhenro.jp/38kongofukuji/
さて、金剛福寺を見た後はバス停へと戻った。
この後は13:12発のバスに乗って中村駅へと戻る。足摺岬での滞在時間は1時間強とそこまで長くなかったが、とても良いものだった。ここまで来るには時間もお金もかかってしまうが、それでも来た価値はあっただろう。
14:57に中村駅へ到着。この後は15:32発の電車に乗り、愛媛県の宇和島へと向かう。
中村駅の休憩所のようなところにコンセントがあり、スマホの充電ができた。これはありがたい。では、今回の記事はここまでにしよう。次の記事では宇和島での様子などを紹介したい。
次の記事はこちら↓
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【四国&九州(7)】高知駅周辺を観光【ひろめ市場・高知城・はりまや橋】
2020年12月11日(金)〜2020年12月29日(火)の約20日間にかけて主に四国と九州を旅してきた時の様子を記事にしている。
前回の記事はこちら↓
kimagure-hitoritabi.hatenablog.com
本日は2020年12月13日(日)。徳島市を観光した私は、15:32発のJR徳島線に乗り、徳島駅から高知駅方面へと向かった。この日の最終目的地は高知駅だが、高知駅に到着するのは20:27と5時間近くの旅となる。
途中、阿波池田駅で乗り換えがあった。乗り換え時間が8分しかなかったため駅の外には出なかったが、外ではイルミネーションをやっているようだった。
次は17:38発の土讃線・伊野行きの列車に乗る。この列車で高知駅まで行ける。
途中、阿波川口駅から大杉駅の間の約1時間(17:51頃〜18:52頃)、乗客は私1人だけだった。ローカル列車ではこういうことも珍しくない。
途中、19:42〜20:00の18分間、土佐山田駅で停車時間があったので、降りてみた。周りにはほとんど何もなかったが、コンビニはあった。
フラフは子どもたちの健やかな成長を願い作られる大きな旗で、高知県の中東部では鯉のぼりとともにフラフを上げて端午の節句を祝うそうだ。フラフの語源は英語の「フラッグ(旗)」が土佐流になまり「フラフ」になったと言われているがその他諸説あるとのこと。香美(かみ)市土佐山田町には3軒の染物工場があり、ここだけで県内シェアの4割が作られている。
後は、香美市といえば日本三大鍾乳洞の1つでもある"龍河洞"があり、ここ土佐山田駅からバスで20分ほどで行くことができる。今回は時間の都合で行けなかったが、またの機会に行ってみたい。
土佐山田駅のコンビニで"土佐のゆずサブレ"というのを買ってみた。6枚入りで400円。高知駅へ向かう電車の中で食べた。高知県は日本一のゆずの産地としても知られている。
予定通り20:27に高知駅へと到着した。高知駅へ着いた後は、まずはひろめ市場へと向かった。
ひろめ市場↓
高知駅からひろめ市場までは歩いて15分ほどだった。高知県では鰹(かつお)のたたきが有名なので、適当な店を探して食べることにした。時間も夜遅かったのと、コロナの関係で時短営業をしている店もあったのでラストオーダーが終わっている店が多かったが、なんとかお店を見つけることができた。
ここのメニューに鰹たたき丼(820円)があったので、注文した。
鰹のたたきはかなり分厚く、とても美味しかった。食べ応えもあり大満足だった。ちなみに聞いた話だと、鰹のたたきを丼ではなくそのまま食べる場合、高知では生ニンニクをスライスしたものと一緒に食べるのだとか。
さて、ひろめ市場の後は高知城へと向かった。ひろめ市場から高知城までは徒歩5分ほどだった。
高知城↓
https://kochipark.jp/kochijyo/
高知城は土佐藩の初代藩主である山内一豊によって創建されて以来、約400年余りの歴史を有する南海の名城として名高い。江戸時代には土佐藩の藩庁が置かれていた。現存十二天守のうちの1つであり、天守の他にも本丸御殿、追手門(おうてもん)などが現存する。天守と本丸御殿が両方現存しているのは高知城のみ、天守と追手門が両方現存しているのは弘前城・丸亀城・高知城の3つのみだそうだ。余談だが、"追手門"とは城の正門にあたるもので、現在では"大手門"と書くのが普通だが、高知城など城によっては現在も"追手門"と表記しているところもある。
この時はすでに営業時間は終わっていたが、外からでも見ることができてよかった。またの機会に中にも入ってみたい。
はりまや橋は日本三大がっかり名所のうちの1つとしても知られているが、竹林寺の僧・純信が恋人である鋳掛屋の娘・お馬のためにために髪飾りを買ったという悲恋物語はよさこい節で有名である。がっかりするという前提で行けばそこまでがっかりという感じでもなかった。
高知駅に戻ってきたのは、鰹たたき丼だけでは量が物足りなかったので、何か食べたいと思ったからだ。
しかし良い感じの店が見つけられなかったので、諦めてホテルにチェックインして明日に備えることにした。この日に泊まったのは"プチホテル高知"というホテルだ。
プチホテル高知↓
高知駅から歩いて5分ほどのところにあるホテルで、GOTOキャンペーンを利用して1泊2,405円で宿泊した。
ホテルからすぐのところに"エースワン"というスーパーがあったので、そこで今日の夜食と明日の食料を調達することにした。
エースワン↓
聞いたことのないスーパーだったので調べてみると、高知市に8店舗、愛媛県宇和島市に2店舗、八幡浜市に1店舗、香川県丸亀市に1店舗あるようだ。
半額になっている商品がたくさんあったので、明日に食べる分も含めて大量に買い込んだ。合計で1,039円だったが、GOTOキャンペーンの地域共通クーポンを利用して支払額は39円のみだった。
このホテルでは夜食にオムライスを注文できるようだった。注文して出来上がったらフロントまで受け取りに行き、それを自分で部屋まで運んで食べるというスタイルのようだ。ちょうど私がエレベーターに乗るときに、一緒に乗っていた宿泊客がオムライスが乗った皿を持っていた。とても美味しそうだったが、今回は利用しなかった。
では、今回の記事はここまでにしよう。この翌日は四国最南端の地である足摺岬に行ってきたので、次回の記事ではその時の様子を紹介したい。
次の記事はこちら↓
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